シリヤの聖エフレム教訓/第16講話

第16講話

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悪言あくげんするをもてたのしむもの悪言あくげんするによりすでみづかとらへられたるをあきらかしめすなり。けだし悪言あくげんするものみづかおのれつみさだむるなり。かれ網中あみのうちりてこれにからまさるるにくぞくするのひとなり。悪言あくげんするものには讒言ざんげんもあり、怨恨うらみも、誹謗そしりもすべてこれあり。ゆえかれ兄弟けいていころもの慈悲じひなるもの残忍ざんにんなるものみとめらるるなり。されどもかみおそるるのおそれおのれにゆうして、潔白けっぱくなるこころあるもの悪言あくげんするをこのまざるべく、失敗しっぱいによりておのれれになぐさめもとめざらん。ゆえおのれ悪言あくげんならはしめたるものなみだ哀哭あいこくとにあたらん。さらばこれよりにくむべきものやある。ゆえせいなる使徒しとあくなるおこないきんじて、あくなるおこないものうち悪言あくげんするものをもかぞるるなり、いはく『悪言あくげんするものまたうばものかみくにがず』〔コリンフ前六の十〕。