シリヤの聖エフレム教訓/第14講話

第14講話

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<< 従順じゅうじゅん >>


真実しんじつにして虚飾きょしょくなき従順じゅうじゅんたるものさいわいなり、いかんとなればかくのごとひとは『いたまでしたがへる』〔フィリプ二の八〕われぜんなるならものなればなり。ゆえ従順じゅうじゅんなるものじつさいわいなり、いかんとなればかれしゅならものにして、しゅ後嗣あとつぎとなるべければなり。従順じゅうじゅんなるもの衆人しゅうじんあいにてあいす。従順じゅうじゅんなるものおほいなる家財かざいおほいなるとみとをん。従順じゅうじゅんなるもの衆人しゅうじんによろこばれ、衆人しゅうじん頌揚しょうようせられ、衆人しゅうじんさんせらるるなり。従順じゅうじゅんなるものはすみやかにのぼるべく、すみやかしんをあらはさん。従順じゅうじゅんなるものめいぜんにかれこうせざるべく、命令めいれいをあたへんにかれはこれをへんぜざるべく、譴責けんせきをなさんにかれいからざるなり。かれはもろもろのぜんなるおこないむかつてようす。短慮たんりょためにたやすくせいせられず。もしせめののしるをきかんもこころみだされざるべく、凌辱はづかしめため憤激ふんげきするにいたらざるべし、かなしみにおいてはよろこび、うれいおいては感謝かんしゃせん。かれ彼方かなた此方こなた転住てんじゅうせざるべく、いんよりいんにうつらざるべし。勧戒かんかいかれおどろかさざるべく、されたるところにとどまりて、うれいしづまざらん。ちちかろんぜず、兄弟けいていをそしらず、修道院しゅうどういんにとどまりてはなれざらん。安楽あんらくくをこのまざるべく、位置いちためとらわれとならざるべく、くうもつたのしみとせざるべし、せい使徒しとふがごとされたるところにとどまらん〔コリンフ前七の二十〕。さらば従順じゅうじゅん結果けっかじつおほし、ゆえにこのとくたるものさいわいなり。