<< 他の老人の事。 >>
何の時なりしか予は一の神父を其庵に訪へり。聖者は誰が為にも戸を開くことを屡々せざりき。しかれども予の至るを窓より認むるや、予に告げて言へり『入らんと欲するか』と、予は答へり『然り貴き父よ』と。然して予が入りし後、祈祷を行ひて我等は種々の談話をなしけるが、終りに臨み、予は彼に問ふて言へり『父よ予は如何にすべきか、或者等予を訪ひ来れど、予は何も獲る所あらず、彼等の談話より何の益をも引出さず、然れども彼等に告げて来るなかれと言はんことは予は自から耻づ、彼等は予が通常の規則を行ふを妨ぐることさへ度々之あり、故に予は之を哀む』と。福なる此の老人は予に此に答へて下の如く言へり『かくの如く閑散を好む者等の汝に来るあらば、其暫く坐するや、祈祷に立たんとするの状を彼等に示せ、而して叩拝して告げて言ふべし、兄弟よ、我等は祈祷せん、けだし予が為に心苦しくして、こは予の為に擾乱の因となる、ゆゑに極めて必要の事にあらずば、規則を棄つるあたはず。されど今は予が祈祷に換ふべき已むを得ざるの事あるなしと、かくの如く言ふべし、此事なくして彼を汝と共に祈祷せずに去らしむるなかれ。もし祈祷せよ、我は去らんと言はば、彼に叩拝し告げて言ふべし、愛の為に此の一祈祷なりとも我と共に為し給へ、予は汝の祈祷により益を受けんと。もし彼等止る時は、汝の祈祷を通常よりも長く行へ。彼等をかくの如く待遇せば、其汝に来るや、汝に寛縦せざると閑散を好まざるとを知り、汝の彼処にあるをききて其所に近づかざらん。
ゆゑに慎めよ、恐らくは汝は偏愛により神に属するの行為を破らん。されどもし或る神父又は疲れたる旅行者の来るあらば、かくの如き者等と暫く居るは汝の為に長き祈祷の代りとならん。されどもし其旅行者は閑談を好む者の一ならば、出来るだけ彼を安んじ、平和にして去らしむべし。』
或る神父は言へり、曰く『或者等庵中に於て工作に従事するも、自己の規則を弛べず執行して擾乱せざるを得べし、といふを聞き、予は之を怪む』。彼は又驚くべき言を発していへり、曰く『実に言はん、予は水濱に出づるならば、我が慣習と其順序とに錯乱を感じ理性を成全するの妨げを覚ゆ。』