シリヤの聖イサアク全書/第十一説教

第11説教

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他日たじつまたいつ老人ろうじんへり、高老こうろうにしてかつなる有徳ゆうとくひとなりき。かれはなはあいしけるが、言語げんごなれども、知識ちしき光明こうめいこころ深遠しんえんにして、恩寵おんちょう暗示あんしするところのものをへり、かれせいなる勤行きんぎょうほかあんよりづることを屡々しばしばせずおのれかえりみ、静黙せいもくしてれり。ときかれげてへり、いはく『ちちよ、主日しゅじつ聖堂せいどう玄関げんかんいたり、彼処かしこしてあさはやしょくし、出入しゅつにゅうする人々ひとびとわれいやしんぜしめんをほっす』と。老人ろうじんこれこたへてぐることごとし、『ろくしてへり、すべ世人せじんまどいものひかりざらんと、なんぢこの地方ちほうおいたれにもられず、なんぢ生涯しょうがい人々ひとびとらず、ゆえにはん。修道しゅうどうあさより食事しょくじすと、こと此処ここ兄弟けいてい新進者しんしんしゃにしてその意思いし薄弱はくじゃくなり、かれらはおおなんぢしんなんぢによりてみずからえきしつつあるに、もしなんぢこのことすをみとむるならば、がいけん。いにしえ神父しんぷらはそのおこなひしおおくの奇跡きせきゆえに、人々ひとびとかれらに尊敬そんけいあらはしたると、その讃揚さんようしたるとにり、かくは行為こういしたれど、これせしはおのれ汚辱おじょくおとしいれ、その行為こういさかえかくして、驕傲きょうごういんおのれよりとおざけんためなり。これはんしてなんぢこれ同様どうようきょでしむるは何物なにものなるか。すべての行為こうい秩序ちつじょとそのときとあるをらざるか。なんぢ如此かくのごとき行為こうい如此かくのごときとをゆうせずして、兄弟けいてい同様どうよう生活せいかつす。なんぢおのれにえきさんせずして、がいせん。かつかくのごときの動作どうさことごとくの人にえきあるにあらずして、ただ完全かんぜんなるもの大徳だいとくなるものえきあり、なんとなればこれ常識じょうしきはなれたるおこないなればなり。しかれどもわずか中間ちゅうかんたっしたるもの新進者しんしんしゃためにはがいあり、なんとなればおおい戒心かいしんして常識じょうしきしたがうべき必要ひつようあればなり。老人ろうじん警戒けいかいときすでぎたれば、ただそのほっするところしたがっえきひきいださん。けだし未熟みじゅく商賈しょうこだいなる運転うんてんためみづからおおいなる損失そんしつまねかん、しかれども些少さしょうなる運転うんてんにはすみやか前進ぜんしんして成効せいこうせん。すでひしごとすべての行為こういにその秩序ちつじょあり、生活せいかつすべての種類しゅるいときるあり。そのえたることをときさきだちてはじむるものなにところあらずして、ただおのれためがいさん。もしこのことなんぢためねがはしくばかみ照管しょうかんり、なんぢのぞみるにあらずして、なんぢおよところ汚辱おじょくよろこんで忍耐にんたいせよ、こころみだすなかれ、なんぢ凌辱りょうじょくするものに対してうらみいだくなかれ。』

なお一回いっかいこの感謝かんしゃすべきひと談話だんわせり、少壮しょうそうより晩年ばんねんいたるまでみずからおのれににんじたるろうため生命樹いのちのきあじはひしかれ道徳どうとく教訓きょうくんおおさづけてさらごとひき、いはく『すべからだくるしめず、こころうれへしめざる祈祷きとう流産りゅうざんしたる胎実たいじつ一般いっぱんなり、なんとなればかくのごと祈祷きとうみずから精神せいしんゆうせざればなり』と。かれまたげていはく『自説じせつてんとほっいつわりてこころはぢかんぜざる議論ぎろんずきの人には何物なにものをもあたふるなかれ、また何物なにものをもまったかれよりるなかれ、おそらくはなんぢだいなる辛労しんろうもったる浄潔じょうけつみずからとおざけてそのこころ暗黒あんこく擾乱じょうらんたしめん』