<< 試惑を恐るる身体は罪の友となる。>>
或る聖人は言へり、試惑を恐るる身体は、之を極度に至らしめて、其生命を奪はれんことを恐るるが故に罪の友となると。故に聖神は彼に死すべきを奨励す。けだし死せずんば罪に勝たざるべきを知ればなり。もし誰か主の住り給はんことを欲せば、主に事ふるに其身を強ひ、使徒が書せる神の誡命の為に労して、其霊魂を使徒が録したる肉慾の行より守るべし〔ガラティヤ五の十九〕。罪に関係する身は肉慾の行に安んずるも、神の神は罪の結果に安んじ給はざるなり、けだし身体が禁食と謙遜との為に弱る時は霊魂は祈祷を以て強めらるるなり。身体が黙想の苦阨に多く虐げられ、剥奪と欠乏とを忍耐して、其生命をも殆ど失はんとするときは、汝に嘆願して左の如く言ふを常とす、曰く『相当に生存する自由を少しく予に與へよ、今や予は正しく行かん、何となれば不幸を以て試みられたればなり』と。然るに彼に同情を表し、彼を其阨より安んぜしめて、多少の安息を彼に與ふるならば、彼は暫時は安んずといへども漸々媚を呈して、汝に耳語し、(彼の媚は甚だ有力なり)汝を野より離れしめんが為に、汝に告げて言はん、『世の近きに居るも好く生活するを得べし、何となれば多くの事に試みられたるによる、故に彼処に於ても今日導かるると同様の規則を以て生活するを得ん。ただ予を試みよ、もし予は汝の意に適するものとならざるときは汝は帰るを得ん。視よ野は我等より逃亡せざるなり』と。彼は大に嘆願し、多く約束を與ふるも、彼を信ずるなかれ。彼は言ふ所を履行せざるなり。彼の願に応ずるときは汝を大なる堕落に投じ、起て出来る能はざるに至らん。
試惑により煩悶を生じて、之に満たさるるときは、自己に告げて言ふべし、『汝は不潔と耻づべき生活とを再び渇望す』と。然るにもし肉体は汝に告げて『大なる罪は自から己を殺さん』と言はば答て言ふべし、『予は己を殺さん、何となれば不潔に生活する能はざればなり。ここに予の死するは、予が霊魂の眞の死と神の為に死するとを再び見ざらん為なり。予は寧ろ此処に放蕩の為に死して、悪生命を以て世に活きざらん。予は己の罪の為に此死を自由に撰擇せり。己を殺さん、何となれば予は主に罪を犯したればなり、復び彼を怒らしめざらん。神より遠ざかる生命を予は如何にすべきか。此等の残骸を忍ばん、天の希望より離れざらん為なり。もし世に悪く生活して神を怒らすならば、此世に於る予の生命を神は如何にすべきや』。