イェルサリム大主教聖キリール教訓/第四講話

正教のおもなる定理 編集

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すべハリストスのなしたまへる行實ぎょうじつ宇宙うちゅう教会きょうかい頌讃しょうさんにあらざるはなし、しかれども頌讃しょうさん頌讃しょうさん十字架じゅうじかなり。ゆえにパウェルこれりてへり『われほこるべきものにあらず、ただハリストス十字架じゅうじかなり』〔ガラティヤ六の十四〕。うまれながらめしひなるものシロアムおいることをたるは奇蹟きせきなり、しかれどもこれ宇宙うちゅうあいだ盲目もうもくとなれることごとくの人類じんるいることをたるにすればいづれぞや。ラザリが第四日目の復活ふっかつおほいなる超自然的ちょうしぜんてきことなり、しかれども恩寵おんちょうはただ一人いちにんおよびしのみ、宇宙うちゅうあいだつみによりてせることごとくの人類じんるい復活ふっかつすればいづれぞや。五餅ごへい五千人にかしめたるは奇蹟きせきなり、しかれどもこれ宇宙うちゅうあいだ無知むちによりてうえつかれたるものかしめたるにすればいづれぞや。十八年のあいだサタナにとらへられたるおんなかれたるは奇蹟きせきなり、しかれどもこれつみ縄目なわめにかかりをる[1]われ衆人しゅうじんかれたるにすればいづれぞや。十字架じゅうじか光栄こうえい無知むちによりて盲目もうもくとなれるところのものをらし、つみかされたるものをき、全世界ぜんせかいにある人々ひとびとあがなへり。

ぜんかいのあがなはれたるをあやしむなかれ、けだしこれがためせしは尋常じんじょうひとにあらずしてかみ独生子どくせいしなればなり。アダム一人のつみるるほど勢力せいりょくてり。さりながら『一人のつみおかししによりておうたらんにはいはんや一人のによりてせいおうたらざらんや』〔ローマ五の十四〕。とうかれらはこころみにしょくしたるため楽園らくえんよりはれしならば、今日こんにち信者しんじゃイイススによりて楽園らくえんるはさら便利べんりなるにあらずや。もしよりはじめてつくられしものぜんかいをもたらししならば、ひとよりつくりしもの永遠えいえん生命いのちをもたらさざらんや、けだしかれみづか生命いのちなればなり。もしフィネス醜行者しゅうこうしゃいきどおり、これをころして、かみいかりをめしならば、イイススわたせしにはあらず、おのれ贖罪しょくざいあたえにささげて、人間にんげんおよびしいかりをしづめざらんや。

ゆえわれらはくぎせられしもの信認しんにんするをはぢざらん、健気けなげにして信印しんいんゆびにてかくすべし、すなはち十字架じゅうじかかたちひたいおよすべての部分ぶぶんかくし、くらところ麺包パンと、さかづきいんと、いづるとると、睡眠すいみんまえと、とききるときと、みちにあるときまた休息きゅうそくするときかくすべし。これ不幸者ふこうしゃにはめぐみにてあたへられ、劣弱者れつじゃくしゃにはろうなくして容易よういあたへらるるおほいなる預防方法よぼうほうほうなり、いかんとなれば恩寵おんちょうかみよりたまはる信者しんじゃ號標しるしにして魔鬼まき戦慄せんりつするところなればなり。十字架じゅうじかによりてかれらを征服せいふくし『権威けんいをもてこれはずかしめたり』〔コロス二の十五〕。かれらは十字架じゅうじかかたちるやただちにくぎせられしもの連想おもいだすべく、へびこうべくだきしものおそれん。信印しんいんをかろんずるなかれ、いかんとなればこれめぐみにてあたへらるるによる、かへつてこれため恩恵者おんけいしゃいよいよ尊奉そんぽうすべし。

脚注 編集

  1. 原文注1:罪の人をしばること鏈鎖くさりもつてするがごとく、ぜんすのちからを人よりうばふをいふ。