「リュシコフ」手記ハ日本小學生向


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△「リュシコフ」手記ハ日本小学生向

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満州国へ逃込ンダ蘇聯ノ極東秘密警察部長「リュシコフ」ノ手記ハ、日本政府ニ依テ新聞関係ニ公表サレタガ、若シ之ガ政府以外ノ筋カラ出タモノナラモット信用出来タラウ。

同手記中蘇聯極東軍隊ノ実力、対支援助ノ程度、「スターリン」党書記長ノ道具トシテノ支那等ニ関スル暴露的記事、及赤軍ノ対日戦備完了ノ密告等ハ、対支軍事行動遅延ノ原因ヲ国民ニ説明スルノニ困ッテ居タ日本政府ニ取ッテハ、実ニ都合ノ好イモノデアッタ。

尚此ノ他ニ「スターリン」ガ政治上ノ親方デアルコトヲ裏書スル様ナ証據ガ挙ゲラレテ居ルガ、「リュシコフ」ガ莫斯科帰還命令ヲ受ケテ居乍ラ、何ウシテ数箇月熟考スル予裕ガアッタカ、「スターリン」及赤軍ノ粛清工作ニ反対スル足場デアルト信ジテ居ル日本ガ何故彼ニ取ッテ「外国」デアルカ。

又赤軍ガ「リュシコフ」ガ強調スル程酷ク粛清サレタトシタラ、何故「リュシコフ」ガ報告スル程赤軍ハ強力デ軍備ガ整備シテ居ルト言ハレルダラウカ等ノ矛盾ニ付テハ、何等説明ヲ与ヘテ居ナイ。

結局彼ノ手紙ハ蘇聯邦ニ関シテ何等真実ヲ語ルモノデハナイガ、若シ之ガ権威アルモノトシタラ、赤軍ニハ外国ニ雇ハレテ居ル将校ガ蜂ノ巣ノ如ク喰込ンデ居ルト言フ蘇政府要人ノ主張ヲ立証スル一助ニナルダラウ。然し最モ重要ナ事ハ、何故赤軍ガ他国ノ軍隊ノ手先タル多クノ将校ニ入込マレテ居ルカ、又莫斯科政府ガ是等多数将校ヲ「スパイ」或ハ謀叛人トシテ指摘セネバナラヌカト云フ原因デアル(七月三日ニューヨーク・タイムズ紙)

 

この文書は、旧著作権法が存続する1970年以前に著作された、官庁もしくは公署の公務上の書類であり、旧著作権法第十一条「著作権の目的とならない著作物」の「官公文書」に該当するため、パブリックドメインの状態にあります。同条の同項目は、旧著作権法を起草した水野錬太郎の逐条解説書[1]によれば、次の立法趣旨に基づき定められました。

官公文書トハ官庁公署(市町村ノ類)ノ公務上ノ書類ニシテ是等ノ書類ハ官吏公司カ職務上製作スルモノナレハ著作権ヲ発生セシムヘキモノニアラス、故ニ官庁公署カ差支ナシト認ムルトキハ何人ノ手ニ成ルヲ問ハス之ヲ公ニスルコトヲ得ルナリ、只官庁公署ノ文書ヲ一個人ニ之ヲ発行スルコトヲ許スト否トハ官庁公署ノ取締ニ在テ存スルモノニシテ著作権ノ有無ニ関係ヲ有スルモノニアラサルナリ、
官公文書トハ官庁公署ノ公務上ノ書類ノミヲ云フモノナレハ官庁公署カ著作ノ名義ヲ以テ発行スル著作物ハ此ノ中ニ包含セス、例ヘハ内務省ニ於テ翻訳シタル各国市町村制度考ノ如キ、文部省ニ於テ著ハシタル各国学校制度ノ如キハ著作権ノ目的物タルコトヲ失ハス、従テ是等ノ著作物ヲ許諾ナクシテ複製スルトキハ偽作ト為ルナリ、

水野錬太郎, 著作権法要義 (1899年) P.46~47

 
 

この著作物は、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定の発効日(2018年12月30日)の時点で著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以上経過しているため、日本においてパブリックドメインの状態にあります。


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