客魯嗹ケルレンの兀喇黑啜勒ウラクチエルの隅スミより回カヘれり。その妻ツマ、孛兒帖 兀眞ボルテ ウヂンの母ハヽは、搠壇シユタンと云イひき。搠壇シユタンは、女ムスメを送オクりて、古咧勒古グレルグの內ウチなる桑古兒 小河サングル ヲガハに[帖木眞テムヂン 等ラ]居ヲる處トコロに致イタして來キぬ。
§95(02:38:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
孛斡兒出ボオルチユの來屬ライゾク
搠壇シユタンを回カヘらしむると、[帖木眞テムヂンは、]別勒古台ベルグタイを、孛斡兒出ボオルチユを「伴トモとならん」とて喚ヨびて遣ヤりぬ。孛斡兒出ボオルチユは、別勒古台ベルグタイに到らるゝと、(原文には「到らしむると」とあり。すべて蒙古語には、日本語にて受動に云ふべき所を令動に云へること多し。日本語として穩かならざる處は、受動に改めて譯せり。)その父チヽに語カタらず、拱脊キヨウセキの栗毛クリゲの馬ウマに乘ノリ、靑アヲき毛衣ケゴロモを馬ウマに駄ツけて、別勒古台ベルグタイと同オナじく來キぬ。かく伴トモとなれるに依ヨり[この後ノチ 長ナガクく]事ツカふる緣故コトノモト、かくあり。
§96(02:38:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
桑古兒 小河サングル ヲガハより起タちて、客魯嗹 河ケルレン ガハの源ミナモトなる不兒吉 額兒吉ブルギ エルギ(不兒吉 がし 親征錄不魯吉 崖ブルギ ガイ)に營盤イヘヰせんと下オり(馬より下り)て、―搠壇 額客シユタン エケの引出物ヒキデモノ(蒙語失惕忽勒シトクル、明譯上ジヤウ㆓見ケンスル 公姑シウトシウトメニ㆒的 禮物レイブツ)として黑クロき貂鼠テウソの裘カハコロモを持モち來キてありき。
客咧亦惕ケレイトの王罕ワンカンに帖木眞テムヂン 兄弟のまみえ
―その裘カハコロモを、帖木眞テムヂン、合撒兒カツサル、別勒古台ベルグタイ 三人ミタリ、持モちて往ユきて、「前サキの日ヒ 也速該 罕 額赤格エスガイ カン エチゲと(也速該 罕なる父。也速該 巴阿禿兒は、罕とならざりき、こゝに罕と云へるは、追王の義ならん。)客咧亦惕ケレイトの民タミの(親征錄克烈 部ケレイ ブ、元史には、克列、克烈、怯列、怯烈、怯列亦、怯里亦など書けり。)王罕ワンカン(親征錄汪 可汗ワン カガン、元史 本紀汪罕ワンハン、哈剌哈孫の傳、伯八の傳 王可汗)は、安達アンダと云イひ合アひたりき。(安達は、親交なり。元史 太祖︀紀 安荅の注に「交物之友」畏荅兒の傳に「安達者︀、定交 不易之謂也」とあり。)我ワが父チヽに安達アンダと云イひ合アひたるは、父チヽの如ゴトくあるぞ」とて、王罕ワンカンを土兀剌トウラの合喇屯カラトンに在アりと知シりて往ユきたり。(土兀剌は、河の名なり。親征錄 元史も同じ。唐書 鐵勒の傳に獨樂 河、回鴨の傳に獨邏 水、元史 巴而朮 阿而忒 的斤の傳に禿忽剌 水、張德輝の