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§91(02:32:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​帖木眞​​テムヂン​の​逆​​ムカ​へ​戰​​タヽカ​ひ

 ​後​​シリヘ​より​人​​ヒト​どもぞろぞろと(蒙語​兀不兒 速不兒​​ウブル スブル​、明譯 陸續)​追​​オ​ひて​來​​キ​ぬ。​一人​​ヒトリ​の​白馬​​シロウマ​の​人​​ヒト​、​套馬竿​​ウマトリザヲ​を​執​​ト​りて​獨​​ヒトリ​にて​追附​​オヒツ​きて​來​​キ​ぬ。​孛斡兒出​​ボオルチユ​ ​言​​イ​はく「​伴​​トモ​よ、​弓箭​​ユミヤ​を​我​​ワレ​におこせよ。​我​​ワレ​ ​射 合​​イ ア​はん」と​云​​イ​へり。​帖木眞​​テムヂン​ ​言​​イ​はく「​我​​ワレ​の​故​​ユヱ​に​汝​​ナンヂ​ ​害​​ガイ​せられん。​我​​ワレ​ ​射 合​​イ ア​はん」と​云​​イ​ひて​逆​​ムカ​へ​回​​カヘ​り​射 合​​イ ア​ひたり。​彼​​カ​の​白馬​​シロウマ​の​人​​ヒト​、​套馬竿​​ウマトリザヲ​にて​指​​サ​して​立​​タ​てり。​後方​​アトベ​の​伴等​​トモラ​、​追附​​オヒツ​きて​來​​キ​ぬ。​日落​​ヒオ​ちて​去​​サ​れり。(日 去れるなり)​黃昏​​タソガレ​となりて​來​​キ​ぬ。​後方​​アトベ​なる​彼​​カ​の​眾​​シウ​は、​暗​​クラ​くなられて​立​​タ​ちて​殘​​ノコ​りたり。


§92(02:33:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​孛斡兒出​​ボオルチユ​の廉潔

 その​夜​​ヨ​ ​行​​ユ​き​通​​トホ​し、​三日​​ミカ​ ​三夜​​ミヨ​ ​行​​ユ​き​通​​トホ​して​到​​イタ​りぬ。​帖木眞​​テムヂン​ ​言​​イ​はく「​伴​​トモ​よ。​我​​ワレ​、​汝​​ナンヂ​[の​助​​タスケ​に​依​​ヨ​る]より​外​​ホカ​に、この​馬​​ウマ​どもを​得​​ウ​べきあらんや。​分​​ワ​け​合​​ア​はん。​幾​​イク​つを​取​​ト​らんと​云​​イ​ふか」と​云​​イ​へり。​孛斡兒出​​ボオルチユ​ ​言​​イ​はく「​我​​ワレ​、​好​​ヨ​き​伴​​トモ​を​汝​​ナンヂ​を「​艱​​ナヤ​みて​來​​キ​ぬ」と​云​​イ​ひて、​好​​ヨ​き​伴​​トモ​に​助​​タスケ​とならんとて、​伴​​トモ​となりて​來​​キ​ぬ、​我​​ワレ​。​外財​​グワイサイ​と​云​​イ​ひて​取​​ト​らんや、​我​​ワレ​。​我​​ワ​が​父​​チヽ​は、​納忽 伯顏​​ナク バヤン​と​云​​イ​ふ​者︀​​モノ​なり。​納忽 伯顏​​ナク バヤン​の​獨子​​ヒトリゴ​にて​我​​ワレ​あり。​我​​ワ​が​父​​チヽ​の​貯蓄​​タクハヘ​は、​我​​ワレ​に​任​​マカ​せあり。​我​​ワレ​は​取​​ト​らず。​我​​ワレ​の​助​​タスケ​となりたるは、​何​​ナニ​の​助​​タスケ​とならん。​取​​ト​らず」と​云​​イ​へり。


§93(02:34:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​納忽 伯顏​​ナク バヤン​の家に二人の歸着

 ​納忽 伯顏​​ナク バヤン​の​家​​イヘ​に​到​​イタ​れり。​納忽 伯顏​​ナク バヤン​は、その​子​​コ​ ​孛斡兒出​​ボオルチユ​を​失​​ウシナ​ひて、​涕 ​​ハナミヅ​ ​涙​​ナミダ​にて​居​​ヰ​けり。​忽​​タチマ​ち​到​​イタ​られて、その​子​​コ​を​見​​ミ​て、​一​​ヒト​たびは​哭​​ナ​き、​一​​ヒト​たびは​怪​​アヤシ​めり。その​子​​コ​ ​孛斡兒出​​ボオルチユ​ ​言​​イ​は