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​帖木眞​​テムヂン​ ​見​​ミ​に​往​​ユ​きけり。そこに​晃豁壇​​コンゴタン​の​察喇合 翁​​チヤラカ オキナ​ ​言​​イ​はく「​汝​​ナンヂ​の​好​​ヨ​き​父​​チヽ​の​收​​ヲサ​めたる​部眾​​ブシウ​、​我等​​ワレラ​のあまたの​部眾​​ブシウ​を​率​​ヒキ​ゐて​起​​タ​たるゝ時、​止​​トヾ​めんとしてかく​爲​​ナ​されたり」と​云​​イ​ひき。その​時​​トキ​ ​帖木眞​​テムヂン​ ​哭​​ナ​きて​出​​イ​でて​去​​サ​れり。

棄てて起てる民を​訶額侖​​ホエルン​の取戾し

​訶額侖 兀眞​​ホエルン ウヂン​は、​棄​​ス​てて​起​​タ​たれたる​時​​トキ​、​纛​​トウ​(蒙語​禿黑​​トク​北狄の君長の牙旗にして、旄牛 又は白馬の尾を竿に繋けたる者︀)​持​​モ​ちて、​身​​ミ​づから​馬​​ウマ​に​乘​​ノ​りて、​半​​ナカバ​の​民​​タミ​を​取戾​​トリモド​せり。その​取戾​​トリモド​せる​民​​タミ​も、​定​​サダ​まらず​泰赤兀惕​​タイチウト​の​後​​アト​より​起​​タチ​ちけり。


§74(02:05:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​艱難︀​​カンナン​なる​訶額侖​​ホエルン​の子育て

 ​泰赤兀惕​​タイチウト​の​兄弟​​アニオトヽ​に、​訶額侖 兀眞​​ホエルン ウヂン​を、​寡婦​​ヤモメ​を、​子​​コ​ども、​幼兒​​ヲサナゴ​ども、​母子等​​オヤコラ​を、​營盤​​イヘヰ​の​裏​​ウチ​に​棄​​ス​てて​起​​タ​たれて、​訶額侖 兀眞​​ホエルン ウヂン​は、​額篾 篾兒干​​エメ メルゲン​(婦人の善射者︀、卽ち女丈夫)に​生​​ウマ​れて、​幼​​ヲサナ​​兀出格惕​き​子​​コ​どもを​養​​ヤシナ​ふに、​きりり​​兀乞塔剌​と​身拵​​ミゴシラ​​孛黑塔剌周​へして、​裾​​スソ​​豁只塔剌​ ​紮​​カラ​げ ​帶​​オビ​ ​締​​シ​​不薛列周​めて、​斡難︀ 河​​オナン ガハ​を​上​​ノボ​​斡額迭​り​下​​クダ​り​走​​ハシ​りて、​杜梨​​ヤマナシ​​斡里兒孫​ ​山櫻​​ヤマザクラ​の​實​​ミ​を​拾​​ヒロ​ひて、​晝​​ヒル​​兀都︀兒​ ​夜​​ヨル​ ​喉​​ノド​を​養​​ヤシナ​へり。​膽​​キモ​​雪勒速​ありて​生​​ウマ​れたる​兀眞 額客​​ウヂン エケ​(夫人なる母)は、​福︀​​サイハヒ​​速​ある​子​​コ​どもを​養​​ヤシナ​ふに、​檜​​ヒ​の​木​​キ​の​鍬​​クハ​​失囉​を​執​​ト​りて、​人參​​ニンジン​​速勒敦​ ​赤赤吉納​​チチギナ​(明 旁譯 草根名)を​剜​​ホ​りて​養​​ヤシナ​へり。[​剛毅​​ガウキ​​合堂斤​なる]​額客 兀眞​​エケ ウジン​(母 夫人)の​野蒜​​ノビル​​合里牙兒孫​、​辣韮​​ラツキヤウ​にて​養​​ヤシナ​へる​子​​コ​どもは、​帝王​​テイワウ​​合惕​を​望​​ノゾ​むに​至​​イタ​れり。​整齊​​セイセイ​​札兒沈台​なる​兀眞 額客​​ウヂン エケ​の​山丹草​​サンタンサウ​​札兀合速​の​根​​ネ​にて​養​​ヤシナ​へる​子​​コ​どもは、​法度​​ハフド​​札撒黑​ある​賢人​​ケンジン​となれり。


§75(02:06:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​帖木眞​​テムヂン​ 兄弟の魚取り

 ​美​​ウツク​​豁阿​しき​兀眞​​ウヂン​の​韮​​ニラ​​豁豁孫​ ​辣韮​​ラツキヤウ​にて​養​​ヤシナ​へる​合兀魯合​​カウルカ​(路 又は溝の義あれども、譯する能はず)​子​​コ​どもは、​豁亦喇兀惕​​ゴイラウト​(これも、譯する能はず)​好​​ヨ​くなれり。​男​​ヲトコ​​額咧思​ ​好​​ヨ​く