Page:成吉思汗実録.pdf/84

このページはまだ校正されていません

らされて、​訶額侖 兀眞​​ホエルン ウヂン​は、​斡兒伯​​オルベ​、​莎合台​​シヨカタイ​ ​二女​​フタリ​に​言​​イ​へらく「​也速該 巴阿禿兒​​エスガイ バアトル​を​死​​シ​にたりと​云​​イ​ひて、​我​​ワ​が​子​​コ​どもを、​大​​オホ​きくならざるに​依​​ヨ​り、​御祖︀​​ミオヤ​の[​御前​​ミマヘ​の]​班列​​ハンレツ​より、​餘​​アマ​れる​供物​​クモツ​より、​胙​​ヒモロギ​より​何​​ナン​ぞ​脫​​ハヅ​れさせたる、​汝等​​ナンヂラ​。​見​​ミ​ると、​食​​クラ​ふことを​勸​​スヽ​めずに、​起​​タ​つことになれり、​汝等​​ナンヂラ​」と​云​​イ​ひき。


§71(02:02:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​俺巴孩​​アンバカイ​の二妃の怒り

 その​言​​コトバ​につき、​斡兒伯​​オルベ​、​莎合台​​シヨカタイ​、​二女​​フタリ​の​妃​​キサキ​ ​言​​イ​はく「​喚​​ヨ​​兀哩​びて​與​​アタ​へられざる​道​​ミチ​あり、​汝​​ナンヂ​。​遇​​ア​​兀赤喇​へば​食​​クラ​ふべき​理​​コトワリ​あり、​汝​​ナンヂ​。​請​​シヤウ​​古咧​うじて​與​​アタ​へられざる​道​​ミチ​あり、​汝​​ナンヂ​。​到​​イタ​​古兒帖​れば​食​​クラ​ふべき​理​​コトワリ​あり、​汝​​ナンヂ​。(喚び請ずるにも及ばず、到り遇はば食へ。)​俺巴孩 合罕​​アンバカイ カガン​を​死​​シ​にたりと​云​​イ​ひて、​訶額侖​​ホエルン​に、​到​​イタ​りつゝかく​云​​イ​はるゝこととなれり。


§72(02:03:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​泰赤兀惕​​タイチウト​に​訶額侖​​ホエルン​ 母子の棄てられ

 ​考​​カンガ​ふるに、この​母子等​​オヤコラ​を​營盤​​イヘヰ​の​裏​​ウチ​に​棄​​ス​てて​起​​タ​て。​汝等​​ナンヂラ​も​勿​​ナ​ ​率​​ヰ​て​行​​ユ​きそ」と​云​​イ​ひ、​明日​​アス​の​日​​ヒ​より​泰赤兀惕​​タイチウト​の​塔兒忽台 乞哩勒禿黑​​タルクタイ キリルトク​(親征錄​塔兒忽台 希憐禿​​タルフタイ ヒリント​。喇失惕 額丁の集史を額兒忒曼の譯したるには、乞哩勒禿克を特兒庫台の號とし、毒心と解せり。元史​塔兒不台​​タルブタイ​。不は、兀の誤りなり)​脫朶延 吉兒帖​​トドエン ギルテ​(親征錄 元史​脫端 火兒眞​​トドン ホルヂン​)​等​​ラ​の​泰赤兀惕​​タイチウト​は、​斡難︀ 河​​オナン ガハ​に​沿​​シタガ​ひ​動​​ウゴ​けり。​訶額侖 兀眞​​ホエルン ウヂン​ ​母子等​​オヤコラ​を​棄​​ス​てて​起​​タ​たれ、​晃豁壇​​コンゴタン​の​察喇合 翁​​チヤラカ オキナ​ ​往​​ユ​きて​止​​トヾ​むる​時​​トキ​、​脫朶延 吉兒帖​​トドエン ギルテ​ ​言​​イ​はく「​深​​フカ​​扯額勒兀孫​き​水​​ミヅ​ ​乾​​カワ​​你都︀喇魯阿​きたり。​光​​ヒカ​​超堅赤剌溫​る​石​​イシ​ ​碎​​クダ​​潮咧魯阿​けたり」と​云​​イ​ふと​起​​タ​ちけり。​察喇合 翁​​チヤラカ オキナ​を「いかでか​止​​トヾ​むる、​汝​​ナンヂ​」と​云​​イ​ひ、​後​​ウシロ​より​槍​​ヤリ​にて​背​​ソビラ​を​刺​​サ​しけり。


§73(02:04:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​察喇合 翁​​チヤラカ オキナ​の負傷

 ​察喇合 翁​​チヤラカ オキナ​ ​負傷​​テオヒ​となりて、​家​​イヘ​に​來​​キ​て​艱​​ナヤ​み​臥​​フ​せる​時​​トキ​、