て彼等カレラの筵會ウタゲの處トコロに下馬ゲバせり。彼等カレラ 塔塔兒タタル 認ミトめたりき。「也速該 乞顏エスガイ キヤン 來キつ」と云イふと、昔ムカシ 虜︀トラへられたる恨ウラミを想オモひて、陰ヒソカに謀ハカり害ソコナひて、毒ドクを和マぜて與アタへき。路ミチに病ヤみ去サりて、三宿ミトマリ 行ユきて、家イヘに到イタると惡ワロくなりて、
§68(01:48:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
也速該 巴阿禿兒エスガイ バアトル 言イはく「我ワが胸ムネ 惡ワロくあり。傍カタヘに誰タレかある」と云イひて、晃豁壇コンゴタンの察喇合 額不堅チヤラカ エブゲン(察喇合 翁。親征錄、元史察剌海︀チヤラハイ)の子コ 蒙力克モンリク「御前ミマヘに在アり」と云イへば、喚ヨびて來コさせて言イはく「我ワが童子ワラハ 蒙力克モンリクよ。子コどもは小チヒサくあり、我ワレ。我ワが子コ 帖木眞テムヂンを壻ムコとし置オきて來キぬる路ミチに、塔塔兒タタルの民タミに陰ヒソカに謀ハカられたり、我ワレ。我ワが胸ムネ 惡ワロくあり。幼ヲサナき遺ノコれる者︀モノども(遺孤)弟オトヽども寡婦ヤモメなる嫂アニヨメを愛護アイゴすることを汝ナンヂ 知シれ。我ワが子コ 帖木眞テムヂンをば速スミヤかに往ユきて率ヰて來コよ。我ワが童子ワラハ 蒙力克モンリクよ」と云イふと歿ミマカりぬ。
成吉思 汗 實錄 卷の一 終り。