爾ナムチ 異コトなる名ナのを訶額侖ホエルンと又マタ 名ナづくべきぞ、爾ナムチ。命イノチを遁ノガれ、我ワが香カを嗅カぎて行ユけ」とて、短衣ミジカギヌを脫ヌぎて[與アタへたるを、赤列都︀チレド]馬ウマの上ウヘより探サグりて取トりたれば、三人ミタリにて山ヤマの鼻ハナを繞メグりて到イタりて來キぬれば、赤列都︀チレドは、速ハヤき淡黃色ウスキイロの馬ウマの腿モヽを打ウちて、急イソぎ走ハシりて斡難︀ 河オナン ガハに泝サカノボり走ハシれり。
§56(01:36:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
三人ミタリにて後アトより追オひて、七ナヽつの岡ヲカを越コゆるまで走ハシりて、回カヘりて來キて訶額侖 兀眞ホエルン ウヂンを(明譯補足裹將去ツヽミモチサリ)、也速該 巴阿禿兒エスガイ バアトル 韁タヅナを牽ヒきて捏坤 太石ネクン タイシなるその兄アニ 嚮導ミチビキして、荅哩台 斡惕赤斤ダリタイ オツチギンなるその弟オトヽ 轅ナガエに傍ソひて來クる時トキ、訶額侖 兀眞ホエルン ウヂン 言イはく「我ワが兄セ(蒙語阿合アカ、兄をも夫をも云ふ)赤列都︀チレドは、風カゼ克に逆サカラひ髮カミ客古勒を拂ハラ客額速はれたること無ナく荒野アレノ客額兒の地チに腹ハラ客額里を飢ウゑさせたること無ナかりき。今イマはいか樣サマに。二フタつの辦髮ベンパツを一ヒトたびは背セの上ウヘに遣ヤりて、一ヒトたびは懷フトコロの上ウヘに遣ヤりて、一ヒトたびは前マヘに向ムけ、一ヒトたびは後ウシロに向ムけ、いか樣サマに爲ナして去サれる」と云イひて、斡難︀ 河オナン ガハを波立ナミタ脫勒乞思塔剌たするまで、林河原ハヤシガハラ槐主不兒を震動トヨモ擣哩思塔剌すまで、大聲オホゴヱに哭ナきて來キつる時トキ、荅哩台 斡惕赤斤ダリタイ オツチギン 傍ソひて行ユきて言イはく「汝ナンヂの抱イダ帖別哩ける[人ヒト]は、峠タウゲ荅巴阿勒を多オホく越コ荅巴えたり。汝ナンヂの哭ナ委剌荅かるゝ[人ヒト]は、水ミヅ兀速惕を多オホく渡ワタれり。叫サケ合亦剌ぶとも、顧カヘリ合剌亦みて見ミざらん、汝ナンヂを。跡アト合亦 追オふとも、彼カレの路ミチ合兀魯合を得エざらん、汝ナンヂ、默モダしてよ」と云イひて諫イサめたり。訶額侖 兀眞ホエルン ウヂンを、也速該エスガイは、かくてその家イヘに伴ツれ來キ