Page:成吉思汗実録.pdf/76

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なる​忽圖剌​​クトラ​に​言​​イ​へ。[​又​​マタ​ ​我​​ワ​が]​十子​​ジツシ​の​內​​ウチ​ ​合荅安 太石​​カダアン タイシ​に​言​​イ​へ」とて​言​​イ​ひて​遣​​ヤ​るに、「​合木渾 合罕​​カムクン カガン​(普き大君、すめら おほぎみ)、​國​​クニ​の​主人​​ウシ​となりて、​女​​ムスメ​を​自​​ミヅカ​ら​送​​オク​れることを​我​​ワレ​により​戒​​イマシ​めよ。​塔塔兒​​タタル​の​民​​タミ​に​拏​​トラ​へられたり、​我​​ワレ​。​五​​イツ​​塔奔​つ​指​​ユビ​を​爪​​ツメ​ ​刷​​ハガ​​塔木​すまで、​十​​トヲ​​哈兒班​の​指​​ユビ​を​磨滅​​スリヘラ​​哈兀惕​すまで、​我​​ワ​が​仇​​カタキ​​哈赤​を​報​​ムク​い​試​​コヽロ​みよ」と​云​​イ​ひて​遣​​ヤ​りき。


§54(01:34:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​也速該​​エスガイ​の妻狩

 その​頃​​コロ​ ​也速該 巴阿禿兒​​エスガイ バアトル​は、​斡難︀ 河​​オナン ガハ​に​鷹​​タカ​を​使​​ツカ​ひ​行​​ユ​く​時​​トキ​、​篾兒乞惕​​メルキト​(親征錄 元史​蔑里乞 部​​メリキ ブ​)の​也客 赤列都︀​​エケ チレド​(蒙古 源流​伊克 齊埓圖​​イケ チレト​)、​斡勒忽訥兀惕​​オルクヌウト​(蒙古 源流​鄂勒郭諾特​​オルゴノト​)の​民​​タミ​より​女子​​ヲトメ​を​取​​ト​りて​送​​オク​りて​來​​キ​ぬるに​遇​​ア​ひて、​偵​​ウカヾ​ひて​見​​ミ​れば、​顏色​​カホバセ​の​殊​​コト​なる(殊色ある)​童女​​ヲトメ​ ​貴女​​キサキ​なるを​見​​ミ​て、​家​​イヘ​に​回​​カヘ​り​奔​​ハシ​りて、​捏坤 太石​​ネクン タイシ​なる​兄​​アニ​、​荅哩台 斡惕赤斤​​ダリタイ オツチギン​なる​弟​​オトヽ​を​率​​ヒキ​ゐて​來​​キ​ぬ。


§55(01:35:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​訶額侖 兀眞​​ホエルン ウヂン​の夫別れ

 ​到​​イタ​れば、​赤列都︀​​チレド​ ​懼​​オソ​れて、―​速​​ハヤ​き​淡黃色​​ウスキイロ​の​馬​​ウマ​ありき。その​淡黃色​​ウスキイロ​の​馬​​ウマ​の​腿​​モヽ​を​打​​ウ​ちて、​岡​​オカ​を​越​​コ​え​躱​​カク​れたれば、その​後​​シリヘ​より​三人​​ミタリ​にて​續​​ツヾ​き​合​​ア​ひたり。​赤列都︀​​チレド​は、​山​​ヤマ​の​鼻​​ハナ​を​繞​​メク​り​回​​カヘ​りて、​車​​クルマ​の​處​​トコロ​に​來​​キ​ぬれば、そこに​訶額侖 兀眞​​ホエルン ウヂン​〈[#「訶額侖 兀眞」は底本では「訶額命 兀眞」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉兀眞は、漢︀語 夫人の轉。元史​宣懿 皇后 月倫​​センイ クワウゴウ ウエルン​、蒙古 源流​烏格楞 哈屯​​ウゲレン ハトン​)​言​​イ​はく「​彼​​カ​の​三人​​ミタリ​の​人​​ヒト​を​覺​​サト​れるか、​爾​​ナムヂ​。​顏顏​​カオガオ​ ​惡​​アシ​くあり。​爾​​ナムチ​の​命​​イノチ​〈[#ルビ「イノチ」は底本では「イノ」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉を​取​​ト​らん​氣色​​ケシキ​あり。​爾​​ナムチ​の​命​​イノチ​だにあらば、​車前​​シヤゼン​​完勒只格​(車の前室)ごとに​童女​​ヲトメ​​斡乞惕​、​黑車​​クロクルマ​​合喇兀​ごとに​貴女​​キサキ​​合禿惕​あらん。​爾​​ナムチ​の​命​​イノチ​だにあらば、​童女​​ヲトメ​ ​貴女​​キサキ​は得らるゝぞ、