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​散只兀 部​​サンヂウ ブ​。元史に、珊竹、散朮台、散竹台、珊竹帶、撒里知兀䚟とも書けり。)​孛端察兒​​ボドンチヤル​は、​孛兒只斤​​ボルヂギン​ ​姓​​ウヂ​となれり。(こは、曾祖︀父 孛兒只吉歹 篾兒干の名に依れるなり。蒙古 源流​博爾濟錦​​ボルヂギン​。その複稱は、孛兒只吉惕にして、蒙古 游牧記に、博明の西齋偶得を引きて、今の蒙古の元裔は、みな博爾濟吉特 氏なりと云へり。


§43(01:25:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​孛端察兒​​ボドンチヤル​の子 ​合必赤​​カビチ​ ​沼咧歹​​ヂヤウレダイ​

 ​孛端察兒​​ボドンチヤル​の​通​​ヨバ​へる​婦人​​ヲミナ​より​生​​ウマ​れたる​巴啉 失亦喇禿 合必赤​​バリン シイラト カビチ​(元史、輟耕錄、​八林 昔黑剌禿 哈必畜​​バリン シヘラト ハビチ​、蒙古 源流​哈必齊 巴圖爾​​ハビチ バートル​)と​云​​イ​へるありき。その​合必赤 巴阿禿兒​​カビチ バアトル​(合必赤 勇士)の​母​​ハヽ​の​從婦​​ジウフ​(嫁ぎに從へる婦人)を​孛端察兒​​ボドンチヤル​ ​扯​​ヒ​きて​居​​ヲ​りき。​一人​​ヒトリ​の​子​​コ​ ​生​​ウマ​れたり。​沼咧歹​​ヂヤウレダイ​と​云​​イ​へるなりき。(原書には、沼兀咧歹と書けり。沼兀と書きても沼の一字と音同じき故に、兀の字を略けり。かゝる例は、後にもあまたあり。一一には註せず。)​沼咧歹​​ヂヤウレダイ​は、​前​​サキ​に​主格黎​​ヂユゲリ​(明本 旁譯​以​​ニテ​​竿​​サヲ​​懸​​カケテ​​肉​​ニクヲ​​祭​​マツル​​天​​テンヲ​​處​​トコロ​)に​入​​イ​りたりき(明譯​孛端察兒​​ボドンチヤル​ ​在時​​アリシトキ​、​將​​ヲ​​他​​カレ​​做​​ナシ​​兒​​コト​、​祭祀​​サイシノ​ ​時同​​トキニオナジク​ ​祭祀​​サイシシ​ ​有來​​タリキ​)。


§44(01:26:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​沼咧亦惕​​ヂヤウレイト​ ​姓​​ウヂ​

 ​孛端察兒​​ボドンチヤル​ ​無​​ナ​くなれる​後​​ノチ​、その​沼咧歹​​ヂヤウレダイ​を「​家​​イヘ​には​常​​ツネ​に​阿當合 兀哴合歹​​アダンカ ウリヤンカダイ​(卽ち前の阿當罕 兀哴合 姓)の​人​​ヒト​ ​住​​ス​めり。​彼​​カレ​のなるぞ」と​云​​イ​ひて、​祭天處​​サイテンシヨ​より​出​​イダ​して、​沼咧亦惕​​ヂヤウレイト​ ​姓​​ウヂ​と​爲​​ナ​して、​沼咧亦惕​​ヂヤウレイト​(親征錄 元史​照烈​​ヂヤウレイ​、また​召烈台​​チヤウレタイ​)の​遠祖︀​​トホツオヤ​とその[​人​​ヒト​]は​爲​​ナ​れり。


§45(01:26:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​篾年 土敦​​メネン トドン​の七子

 ​合必赤 巴阿禿兒​​カビチ バアトル​の​子​​コ​ ​篾年 土敦​​メネン トドン​ありき。(元史本紀​咩撚 篤敦​​メネン ドドン​。世系表 輟耕錄は、撚を麻と誤れり。蒙古 源流​瑪哈 圖丹​​マハ トダン​、哈必齊の孫とせり)​篾年 土敦​​メネン トドン​の​子​​コ​ ​合赤 曲魯克​​カチ クルク​、(蒙古 源流​哈齊 庫魯克​​ハチ クルク​。元史 世系表、輟耕錄は、誤りて旣拏 篤兒罕と云へり。)​合臣​​カチン​、(世系表​合產​​カシヤン​、敦必乃の第三子とせり。)​合赤兀​​カチウ​、(世系表​葛朮虎​​カチユフ​、敦必乃の長子とせり)​合出剌​​カチユラ​、(世系表​葛忽剌 急里擔​​カフラ ギリタン​、敦必乃の第二子とせり。)​合赤溫​​カチウン​、(世系表​葛赤渾​​カチフン​、敦必乃の第五子とせり)​合㘓歹​​カラルダイ​、(世系表​哈剌喇歹​​ハララダイ​、