くありとて、親族ミウチに算カゾへず、分前ワケマヘを與アタへざりき。
§24(01:15:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
孛端察兒ボドンチヤルの侘住ワビズマひ
孛端察兒ボドンチヤルは、親族ミウチに算カゾへられずして、「こゝに住スみて何ナニ」と云イひて、脊瘡セガサ豁勒荅阿哩ある尾短ヲミジカ豁多黎薛兀勒の脊黑セグロの靑馬アヲウマに乘ノりて、「死シなば彼等カレラの[弟オトヽ]死シなん。活イきば彼等カレラの[弟オトヽ]活イきん」と云イひて、斡難︀ 河オナン ガハに沿シタガひ去サりて放ハナちたり(その身を自ら放ちたり)。去サりて巴勒諄 阿喇バルヂユン アラ(明本語譯には水名、文譯には地名。阿喇は、阿喇勒にて、河中島なり。巴勒諄 島は、斡難︀ 河の島なるべし。元史 本紀八里屯 阿懶 之 地バリトン アラン ノ チ)に到イタりて、そこに草クサの菴イホの房ヘヤを作ツクりて、そこに住スみ居ヰたり。
§25(01:16:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
かく住スめる時トキに雛ヒナなる黃鷹ワカタカの野雞ノカケを捕トラへて喫クひ居ヰるを見ミて、脊瘡セガサある尾短ヲミジカの脊黑セグロの靑馬アヲウマの尾ヲの毛ケにて套ワナ 作ツクりて捕トラへて育ソダてたり。
§26(01:16:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
喫クふ食物クヒモノなく住スめるには、狼オホカミの崖キリギシにて取卷トリマける獸ケダモノを窺ウカヾひて射イて殺︀コロして喫クひ合アひ、狼オホカミの喫クへる(喫ひ殘せる)を拾ヒロひて喫クひ、己オノレの喉ノドを又マタ 黃鷹ワカタカを養ヤシナひ合アひ、その年トシ 過スぎたり。
§27(01:17:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
春ハルになれり。鴨カモども來キぬる時トキに、黃鷹ワカタカを飢ウゑさせて放ハナてり。鴨雁カモカリどもを、枯木カレキ豁只兀剌思ごとに臭氣クサキカ荒失兀惕を、乾カワ洪只瓦列思ける木キごとに腥ナマグサ洪失兀惕き氣カを聞キくまでに置オきたり(明譯拏トラヘ㆓得ウルヿ鵞鴨ガアフヲ㆒多了オホクテ、喫クヒ不ズ㆑盡ツクサ、掛カケテ㆓在アリ各 枯樹 上カク コジユノ ウヘニ㆒都︀ 臭了スベテ クサクナレリ)。
§28(01:17:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
統格黎克トンゲリク 小河ヲガハの民との交り
都︀亦嗹ドイレン(明譯 山名)の背ウシロより統格黎克トンゲリク 小河ヲガハに沿シタガひ、羣民ムレビト 起タちて來キぬ。孛端察兒ボドンチヤル、彼カの民タミの處トコロに黃鷹ワカタカを放ハナち往ユきて、晝ヒルは