表、陶宗儀の輟耕錄脫奔 咩哩犍トブン メリゲン、蒙古 源流多本 墨︀爾根ドブン メルゲン)二人フタリありき。
§4(01:03:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
都︀蛙 鎻豁兒ドワ ソゴルの獨眼ヒトツメ
都︀蛙 鎻豁兒ドワ ソゴルは、額ヒタヒの中ナカに獨眼ヒトツメあり、三日程ミツカヂの地トコロを望ノゾむなりき。
§5(01:03:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
一日ヒトヒ 都︀蛙 鎻豁兒ドワ ソゴルは、朶奔 篾兒干ドブン メルゲンなる弟オトヽと不兒罕 嶽ブルカン ダケの上ウヘに上ノボれり。都︀蛙 鎻豁兒ドワ ソゴルは、不兒罕嶽ブルカン ダケの上ウヘより望ノゾみて、統格黎克 豁囉罕トンゲリク ゴロカン(統格黎克 小河。元史 本紀統急里 忽魯トンギリ フル、蒙古 源流通格里克 呼魯歡トンゲリク フルホン)に沿シタガひ一羣ヒトムレの民タミ 起タちて入イりて來キぬるを望ノゾみて見ミて、
§6(01:04:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
言イはく「彼カの起タちて來キぬる民タミの內ウチに、一ヒトつの黑クロき輿コシある車クルマの完勒只格オルヂゲ(明譯 車前、車の前室)に一人ヒトリの女子オトメ 妍カホヨきあり。與アタへられず(嫁がず)あらば、朶奔 篾兒干ドブン メルゲン 弟オトヽ、汝ナンヂが爲タメに求モトめん」と云イひて、朶奔 篾兒干ドブン メルゲン 弟オトヽを見ミに遣ヤりぬ。
§7(01:04:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
阿闌 豁阿アラン ゴアの妍カホヨき
朶奔 篾兒干ドブン メルゲン、彼カの民タミの處トコロに到イタれば、實ゲにも美ウツクしく(蒙語 豁阿)妍カホヨく聲コヱ(聞え譽れ)名ナの大オホきなる阿闌 豁阿アラン ゴア(阿闌 媛。豁阿は、美より轉じて、媛 卽ち美女なり。元史 本紀、世系表、輟耕錄、阿蘭 果火アラン ゴホア、蒙古 源流阿掄 郭斡アルン ゴワ)の名ナありて、人ヒトにも與アタへられざる女子ヲトメなりき。
§8(01:05:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
豁哩剌兒台 篾兒干ゴリラルタイ メルゲンの女ムスメ
彼カの羣ムレ 居ヰる民タミは、又マタ 闊勒 巴兒忽眞 脫古木コル バルクヂン トグム(闊勒 巴兒忽眞の隘處。親征錄、元史 本紀八兒忽眞 之 隘バルフヂン ノ アイ。額兒忒曼は、巴兒古臣 禿古嚕姆と云ふ。今の拜喀爾湖の東岸なる巴爾古精︀バルグチンの地)の主人ウシ 巴兒忽歹 篾兒干バルグダイ メルゲン(巴兒忽惕部の善射者︀)の女ムスメ 巴兒忽眞 豁阿バルクヂン ゴア(巴兒忽眞 媛、巴兒忽惕 部の美女。蒙古 源流巴喇郭沁 郭斡バラゴチン ゴワ)と云ふ女子ヲトメを豁哩 禿馬惕ゴリ トマトの(喇失惕 額丁の蒙古 集史に依れは、禿馬惕は、巴兒古惕の中の一部落にして、巴兒古臣 禿古嚕姆の地に住めりと云ふ。されども下の阿哩黑 兀孫は、今の伊爾庫 河ならば、禿馬惕の地は、