兀嚨格赤ウロンゲチ 兀丹ウダン 乞思合兒キスガル 兀哩罕ウリカン 古先グセン 荅哩勒ダリルなどの城シロどもを知シらしめに任コトヨサして、その父チヽを牙剌哇赤ヤラワチを伴ツれ來キて、乞塔惕キタトの中都︀チウトの城シロを知シらしめに伴ツれ來キぬ。撒兒塔黑サルタクの人ヒトより牙剌哇赤ヤラワチ 馬思忽惕マスクト 二人フタリの、城シロの體例タイレイ 緣故コトノモトに通ツウじたるの故ユヱに、乞塔惕キタトの民タミを知シらしめに、荅嚕合思ダルガスと共トモに任コトヨサしたり。
〈[#訳注者 那珂通世 本人が考訂した]〉§264(11:51:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
かくて成吉思 合罕チンギス カガンは、[馬ウマの年トシの秋アキ]巴嚕安 原バルアン バラより回カヘりて、[その冬フユ 薛米思堅セミスゲンに下馬ゲバして、羊ヒツジ 猴サルの二年フタトセは、駐夏チウカ 駐冬チウトウして、徐シヅカに動ウゴきて、者︀別ヂエベ 速別額台スベエタイ 二人フタリを待マち合アはせ、]撒兒塔兀勒サルタウルの民タミの處トコロに七年ナヽトセ 行ユきて、七年ナヽトセに當アタ〈[#ルビの「アタ」は底本では、なし。昭和18年復刻版に倣い修正]〉る雞ニハトリの年トシの秋アキ、禿剌 河トラ ガハの合喇屯カラトンに斡兒朶オルドの處トコロに下馬ゲバせり。
成吉思 汗 實錄 卷の十一 終り。