薛米思加卜セミスカブ 兀荅喇兒ウダラルの城シロに彼等カレラを會クワイせしめず、勝カちて申 木嗹シン ムレンに到イタるまで追オひて行ユかれ、申 木嗹シン ムレンに跳込トビコみて入イるとなり、多オホき撒兒塔兀勒サルタウルをそこに申 木嗹シン ムレンの處トコロに滅ホロボしたるぞ。札剌勒丁 莎勒壇ヂヤラルヂン シヨルタン 罕篾里克カンメリク 二人フタリは、命イノチを助タスかりて申 木嗹シン ムレンに泝サカノボり逃ノガれたり。成吉思 合罕チンギス カガンは、札剌亦兒ヂヤライルの巴剌バラを札剌勒丁 莎兒壇ヂヤラルヂン シヨルタン 罕篾里克カンメリク 二人フタリを追オはしめに遣ヤりて、[馬ウマの年トシの春ハル]申 木嗹シン ムレンに泝サカノボり往ユきて、巴惕客先バトケセンを掠カスめて去サりて、[その夏ナツ]母 小河ハヽ ヲガハ 牝馬 小河メウマ ヲガハに到イタりて、巴嚕安 原バルアン バラに下馬ゲバして、そこに札剌亦兒ヂヤライルの巴剌バラを待マちて居ヲる時トキ、巴剌バラは、申 木嗹シン ムレンを渡ワタりて、札剌勒丁 莎勒壇ヂヤラルヂン シヨルタン 罕篾里克カンメリク 二人フタリを欣都︀思ヒンドスの地クニに到イタるまで追オひて、札剌勒丁 莎勒壇ヂヤラルヂン シヨルタン 罕篾里克カンメリク 二人フタリを失ウシナひて、欣都︀思ヒンドスの中ナカに到イタるまで尋タヅねて得エかねて回カヘりて、欣都︀思ヒンドスの傍カタヘの民タミを掠カスめて、多オホき駱駝ラクダ 多オホき羯羊カツヤウを取トりて來キけり。
〈[#訳注者 那珂通世 本人が考訂した]〉§263(11:50:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
又マタ 撒兒塔兀勒サルタウルの民タミを取トり畢ヲへて、成吉思 合罕チンギス カガン 勅ミコトあり、城城シロジロに荅嚕合臣ダルガチンを置オきて、兀嚨格赤ウロンゲチの城シロより牙剌哇赤ヤラワチ 馬思忽惕マスクトと云イへる父子オヤコ 二人フタリ、忽嚕木石クルムシの姓ウヂある撒兒塔兀勒サルタウル 來キて、城シロの緣故エンコ 體例タイレイを成吉思 合罕チンギス カガンに奏マウして、「緣故エンコに遵シタガひ知シらせ」と云イはれて、その子コを馬思忽惕マスクト 忽嚕木石クルムシを、我等ワレラの荅嚕合思ダルガスと共トモに不合兒ブカル 薛米思堅セミスゲン