Page:成吉思汗実録.pdf/336

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​前​​マエ​に​居​​ヲ​れ」[とて​畱​​トヾ​めて]、​斡帖格歹​​オテゲダイ​ ​搠兒馬罕​​シユルマカン​を​巴黑塔惕​​バクタト​の​民​​タミ​の​處​​トコロ​に​合里伯 莎勒壇​​カリベ シヨルタン​の​處​​トコロ​に​出征​​シユツセイ​せさせたり。


〈[#訳注者 那珂通世 本人が考訂した]〉§261(11:49:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​朶兒伯​​ドルベ​の出征

 ​又​​マタ​ ​欣都︀思​​ヒンドス​の​民​​タミ​ ​巴黑塔惕​​バクタト​の​民​​タミ​ ​二​​フタ​つの​閒​​アヒダ​なる​阿嚕​​アル​ ​馬嚕​​マル​ ​馬荅撒哩​​マダサリ​の​民​​タミ​の​阿卜禿​​アブト​の​城​​シロ​に​朶兒別惕​​ドルベト​の​朶兒伯 朶黑申​​ドルベ ドクシン​を​出征​​シユツセイ​せさせたり。


〈[#訳注者 那珂通世 本人が考訂した]〉§262(11:49:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​速別額台​​スベエタイ​の出征

 ​又​​マタ​[​者︀別 那顏​​ヂエベ ノヤン​]​速別額台 巴阿禿兒​​スベエタイ バアトル​[​二人​​フタリ​]を、​北​​キタ​なる​康鄰​​カングリン​ ​乞卜察兀惕​​キブチヤウト​ ​巴只吉惕​​バヂギト​ ​斡嚕速惕​​オルスト​ ​馬札喇​​マヂヤラ​ ​阿速惕​​アスト​ ​撒速惕​​サスト​ ​薛兒客速惕​​セルケスト​ ​客失米兒​​ケシミル​ ​孛剌兒​​ボラル​ ​客喇勒​​ケラル​、この​十一部落​​ジフイチブラク​なる​外國​​トツクニ​の​民​​タミ​の​處​​トコロ​に​到​​イタ​るまで、​亦的兒 札牙黑​​イヂル ヂヤヤク​なる​水​​ミヅ​ある​河​​カハ​を​渡​​ワタ​り、​乞瓦​​キワ​ ​綿 客兒綿​​メン ケルメン​の​城​​シロ​の​處​​トコロ​に​到​​イタ​るまで、[​者︀別 那顏​​ヂエベ ノヤン​] ​速別額台 巴阿禿兒​​スベエタイ バアトル​ [​二人​​フタリ​]を​出征​​シユツセイ​せさせたり。


〈[#訳注者 那珂通世 本人が新作した節︀]〉


​札剌勒丁​​ヂヤラルヂン​ ​罕蔑里克​​カンメリク​の追ひ捲くられ

 [​蛇​​ヘビ​の​年​​トシ​の​秋​​アキ​、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​塔里罕​​タリカン​より​南​​ミナミ​に​動​​ウゴ​きたれば、その​冬​​フユ​]​札剌勒丁 莎勒壇​​ヂヤラルヂン シヨルタン​ ​罕篾里克​​カンメリク​ ​二人​​フタリ​は、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​の​迎​​ムカヘ​に​出馬​​シユツバ​せり。​成吉思 合罕​​チンギス カガン​の​前​​マエ​に​失吉 忽禿忽​​シギ クトク​ ​先鋒​​センポウ​に​行​​ユ​きけり。​失吉 忽禿忽​​シギ クトク​と​對陣​​タイヂン​して、​札剌勒丁 莎勒壇​​ヂヤラルヂン シヨルタン​ ​罕篾里克​​カンメリク​ ​二人​​フタリ​は、​失吉 忽禿忽​​シギ クトク​を​敗​​ヤブ​りて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​の​處​​トコロ​に​到​​イタ​るまで​勝​​カ​ちて​來​​キ​つるに、者︀別 速別額台 ​脫忽察兒​​トクチヤル​ ​三人​​ミタリ​は、​札剌勒丁 莎勒壇​​ヂヤラルヂン シヨルタン​ ​罕篾里克​​カンメリク​ ​二人​​フタリ​の​後​​ウシロ​より​入​​イ​りて、​却​​カヘツ​て​彼等​​カレラ​を​敗​​ヤブ​りて​殺︀​​コロ​して、​不合兒​​ブカル​