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​城​​シロ​どもを​經​​ヘ​て​動​​ウゴカ​さず、​外面​​ソトモ​を​過​​ス​ぎけり。その​後​​ウシロ​より​速別額台​​スベエタイ​も、その​理由​​リイウ​に​依​​ヨ​り​動​​ウゴカ​さず​過​​ス​ぎけり。その​後​​ウシロ​より​脫忽察兒​​トクチヤル​は、​罕篾里克​​カンメリク​の​傍​​カタハラ​の​城​​シロ​どもを​侵​​オカ​して、​彼​​カレ​の​田禾​​タナツモノ​を​掠​​カス​めき。​罕篾里克​​カンメリク​は、​城​​シロ​どもを​侵​​オカ​されたりとて、​背​​ソム​き​動​​ウゴ​きて、[その​後​​ノチ​]​札剌勒丁 莎勒壇​​ヂヤラルヂン シヨルタン​に​合​​ア​ひけり。

三將の賞罰

[​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、]​者︀別​​ヂエベ​ ​速別額台​​スベエタイ​ ​二人​​フタリ​を​甚​​イタ​く​恩賞​​オンシヤウ​して、「​者︀別​​ヂエベ​ ​汝​​ナンヂ​は、​只兒豁阿歹​​ヂルゴアダイ​と​云​​イ​ふ​名​​ナ​なりき。​台赤兀惕​​タイチウト​より​來​​キ​て、​者︀別​​ヂエベ​となりたるぞ、​汝​​ナンヂ​。​脫忽察兒​​トクチヤル​は、​罕篾里克​​カンメリク​の​傍​​カタハラ​の​城​​シロ​どもを​己​​オノ​が​心​​コヽロ​に​依​​ヨ​り​侵​​オカ​して、​罕篾里克​​カンメリク​を​叛​​ソム​かせたり。​法​​ハフ​に​當​​ア​て​斬​​キ​らしめん」と​云​​イ​ひ​畢​​ヲ​へて、​却​​カヘツ​て​斬​​キ​らしめず、​甚​​イタ​く​責​​セ​めて、​彼​​カレ​の​軍​​イクサ​を​知​​シ​ることより​罰​​ツミナ​ひて​下​​クダ​せり。


〈[#訳注者 那珂通世 本人が考訂した]〉§258(11:41:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


三皇子の​兀嚨格赤​​ウロンゲチ​ぜめ

 かくて​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、[その​年​​トシ​の​秋​​アキ​]​拙赤​​ヂユチ​ ​察阿歹​​チヤアダイ​ ​斡歌歹​​オゴダイ​ ​三人​​ミタリ​の​子​​ミコ​だちを、​右手​​ミギテ​の​軍​​イクサ​にて、​阿梅︀ 木嗹​​アムイ ムレン​を​渡​​ワタ​りて、​兀嚨格赤​​ウロンゲチ​の​城​​シロ​に​下營​​カエイ​せよとて​遣​​ヤ​りぬ。​拖雷​​トルイ​をば、​亦嚕​​イル​ ​亦薛不兒​​イセブル​を​始​​ハジ​とせる​多​​オホ​き​城​​シロ​どもに​下營​​カエイ​せよとて​遣​​ヤ​りぬ。[​蛇​​ヘビ​の​年​​トシ​の​春​​ハル​]​拙赤​​ヂユチ​ ​察阿歹​​チヤアダイ​ ​斡歌歹​​オゴダイ​ ​三人​​ミタリ​の​子​​ミコ​だち​奏​​マウ​して​遣​​ヤ​るには「​我等​​ワレラ​の​軍​​イクサ​ども​揃​​ソロ​へり。​兀嚨格赤​​ウロンゲチ​の​城​​シロ​に​到​​イタ​れり。​誰​​タレ​の​言​​イ​に​依​​ヨ​り​行​​ユ​はん、​我等​​ワレラ​」と​奏​​マウ​して​遣​​ヤ​りたれば、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​勅​​ミコト​あり「​斡歌歹​​オゴダイ​の​言​​コトバ​に​依​​ヨ​り