Page:成吉思汗実録.pdf/271

このページはまだ校正されていません

て​出​​イ​づれば、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​の​周圍​​マハリ​に​箭筒士​​セントウシ​ ​侍衞​​ジヱイ​ ​等​​ラ​ ​繞​​メグ​りて​立​​タ​てり。​帖卜騰格哩​​テブテンゲリ​を​車​​クルマ​の​端​​ハシ​に​脊梁​​セボネ​を​折​​ヲ​りて​去​​サ​てたるを​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​御覽​​ミソナハ​して、​後方​​アトベ​より​一​​ヒト​つの​靑​​アヲ​き​帳房​​チヤウバウ​を​持​​モ​ち​來​​コ​させて、​帖卜騰格哩​​テブテンゲリ​の​上​​ウヘ​に​被​​オホ​はせて、「​駕車​​カセルクルマ​に[​我​​ワレ​を]​入​​イ​らしめよ。​起​​タ​たん」と​宣​​ノリタマ​ひて、そこより​起​​タヽ​したり。


§246(10:42:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​帖卜​​テブ​の死體の失せ

 ​帖卜​​テブ​(帖卜騰格哩の略稱)を​被​​オホ​ひたる​帳房​​チヤウバウ​の​天窗​​ソラマド​に​蓋​​フタ​して、​門​​カド​を​壓​​オサ​へて​人​​ヒト​に​守​​マモ​らせたれば、​第三​​ダイサン​の​夜​​ヨル​、​日​​ヒ​ ​黃​​キ​なる​時​​トキ​(明譯​將​​スルトキ​曉​​アケント​)、​天窗​​ソラマド​ ​開​​ア​けて​身​​ミ​ぐるみ​出​​イ​でけり。​審​​タシカ​むれば、​實​​マコト​に​帖卜​​テブ​ ​彼​​カレ​の[​出​​イ​でたる]は、そこに​審​​タシカ​められたり。​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​宣​​ノリタマ​はく「​帖卜騰格哩​​テブテンゲリ​は、​我​​ワ​が​弟​​オトヽ​どもに​手足​​テアシ​を​致​​イタ​したる​故​​ユヱ​に、​我​​ワ​が​弟​​オトヽ​どもの​閒​​アヒダ​に、​跡形​​アトカタ​なき​讒言​​ザンゲン​の​故​​ユヱ​に、​上帝​​アマツカミ​に​愛​​イツクシ​まれずして、​命​​イノチ​を​身​​ミ​ぐるみ​持​​モ​ちて​去​​サ​られたるぞ」と​宣​​ノリタマ​へり。

​蒙力克 額赤格​​モンリク エチゲ​の責められ

​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​蒙力克 額赤格​​モンリク エチゲ​をそこに​責​​セ​めけらく「​子​​コ​どもを​性行​​セイカウ​を​制​​セイ​せず、[​我​​ワレ​と]​齊​​ヒト​しからんと​思​​オモ​へる​故​​ユヱ​に、[​禍︀​​ワザハヒ​は]​帖卜騰格哩​​テブテンゲリ​の​頭​​カシラ​に​到​​イタ​りぬ、​汝等​​ナンヂラ​。​汝等​​ナンヂラ​のかゝる​性行​​セイカウ​を​覺​​サト​れるならば、​札木合​​ヂヤムカ​、​阿勒壇​​アルタン​、​忽察兒​​クチヤル​ ​等​​ラ​の[​如​​ゴト​き]​理由​​リイウ​あるものと​做​​ナ​さるべきなりき、​汝等​​ナンヂラ​」と​宣​​ノリタマ​ひて、​蒙力克 額赤格​​モンリク エチゲ​を​責​​セ​めて、​責​​セ​め​畢​​ヲ​へてさて「​朝​​アシタ​に​言​​イ​へるを​夕​​ユフベ​に​變​​カ​へば、​夕​​ユフベ​に​言​​イ​へるを​朝​​アシタ​に​變​​カ​へば、​恥​​ハヂ​(恥づべきこと)と​必​​カナラズ​ ​云​​イ​はれん。​只​​タヾ​ ​前​​サキ​に​言​​コトバ​を​定​​サダ​められたるぞ、​彼​​カ​の​事​​コト​を(明譯​因​​ヨリテ​​在先​​サキニ​ ​說​​イヒ​​定免​​サダメユルスト​