何ナニをか爲シたる。(合撒兒は、猛き野犬の名を采りて名づけたるなり。故にその野犬の猛く生れたるさまを韻語に云ひて、合撒兒の勇猛なるに譬へたり。)帖木眞テムヂンは、我ワが此コの一ヒトつの乳チを盡ツクしたりき。合赤溫カチウン、斡惕赤斤オツチギンは、二人フタリとなりて一ヒトつの乳チを盡ツクさざりき。合撒兒カツサルこそは、我ワが兩フタツの乳チ 皆ミナを盡ツクして、我ワが胷ムネ 寬ユルヤカになるまで休ヤスましめて、胷ムネを寬ユルヤカになしたりき。それが爲タメに技能ギノウある我ワが帖木眞テムヂンは、胷ムネ扯額只 云云シカジカ。(こゝに脫文あり、補ふこと能はず。)技能ギノウある我ワが合撒兒カツサルは、射ユミイ合兒不る力チカラ 技能ギノウある故ユヱに、叛ソム合兒不察きて(語譯に交參とあれども、今 文譯に從へり、)出イ合嚕でたるを鏑失カブラヤ合兒不 射イて降クダらしめたりき。驚オドロ斡黑札惕きて出イでたるを遠箭トホヤ桓禿察 射イて降クダらしめたりき。今イマ 敵テキの人ヒトを窮キハめたりと云イひて、合撒兒カツサルを見ミる(用ふること)能アタはざるなり、汝ナンヂ」と云イへり。母ハヽを休ヤスましめ畢ヲへて、成吉思 合罕チンギス カガン 宣ノリタマはく「母ハヽに怒イカられて、畏オソれも畏オソれたり、羞ハぢも羞ハぢたり、我ワレ」と宣ノリタマひて、「退シリゾかん、我等ワレラ」と宣ノリタマひて退シリゾきたり。母ハヽに知シらしめず陰ヒソカに合撒兒カツサルの民タミを取トりて、合撒兒カツサルに千四百センシヒヤクの民タミを與アタへたり。母ハヽ 知シりて、心コヽロに[憂ウレへ](原文に脫ちたるを、明譯に依りて補へり。)早ハヤく老オいたる理由リイウはかくあり。札剌亦兒ヂヤライルの者︀卜客ヂエブケは、そこに驚オドロきて、巴兒忽眞バルクヂンに入イり逃ノガれたり。
§245(10:33:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
その後ノチ 九種コヽノイロの方言クニコトバある民タミ、帖卜騰格哩テブテンゲリの處トコロに聚アツマりて、成吉思 合罕チンギス カガンの聚馬處ウマヨセバより多オホく帖卜騰格哩テブテンゲリの處トコロに聚アツマるとなれり。かく聚アツマれる時トキ、帖木格 斡惕赤斤テムゲ オツチギンに屬シタガへる民タミ