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に​上​​ノボ​りたれば、​禿馬惕​​トマト​の​民​​タミ​の​天窗​​ソラマド​の​上​​ウヘ​より、​不意​​フイ​にて​筵會​​ウタゲ​して​居​​ヲ​る​處​​トコロ​を​虜︀​​トラ​へたり。


§241(10:20:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​拏​​トラ​へられたる二將の助かり

 ​前​​サキ​に​豁兒赤 那顏​​ゴルチ ノヤン​、​忽都︀合 別乞​​クドカ ベキ​ ​二人​​フタリ​は​禿馬惕​​トマト​に​拏​​トラ​へられて、​孛脫灰 塔兒渾​​ボトクイ タルクン​の​處​​トコロ​にそこにありき。​豁兒赤​​ゴルチ​の​拏​​トラ​へられたる​理由​​ワケ​は、​禿馬惕​​トマト​の​民​​タミ​の​女子​​ヲトメ​どもは​美​​ウツク​しくあり、​三十​​サンジフ​の​妻​​ツマ​を​取​​ト​れと​勅​​ミコト​ありたるにつき、​禿馬惕​​トマト​の​民​​タミ​の​女子​​ヲトメ​どもを​取​​ト​らんとて​往​​ユ​きたるに、​前​​サキ​に​降​​クダ​りたる​民​​タミ​は、​却​​カヘツ​て​敵​​テキ​となりて、​豁兒赤 那顏​​ゴルチ ノヤン​を​拏​​トラ​へたりき。​豁兒赤​​ゴルチ​は​禿馬惕​​トマト​に​拏​​トラ​へられたりと​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​知​​シ​りて、「​林​​ハヤシ​の​民​​タミ​の​行​​オコナヒ​は、​忽都︀合​​クドカ​ ​知​​シ​れるぞ」と​宣​​ノリタマ​ひて​遣​​ヤ​りたれば、​忽都︀合 別乞​​クドカ ベキ​ ​又​​マタ​ ​拏​​トラ​へられき。

三將の恩賜

[こたび]​禿馬惕​​トマト​の​民​​タミ​を​降​​クダ​し​畢​​ヲ​へたれば、​孛囉忽勒​​ボロクル​の​骨​​ホネ​の​故​​ユヱ​に​百​​ヒヤク​の​禿馬惕​​トマト​を​賜​​タマ​へり。(孛囉忽勒の遺族に賜はりたるなり。)​豁兒赤​​ゴルチ​は、​三十​​サンジフ​の​女子​​ムスメ​を​取​​ト​れり。​忽都︀合 別乞​​クドカ ベキ​に​孛脫灰 塔兒渾​​ボトクイ タルクン​を​賜​​タマ​へり。(親征錄は、禿馬惕 征伐を丁丑(太祖︀ 十二年)に移し、簡短に「是歲、吐麻 部 主 都︀剌 莎合兒、旣 附而叛、上命博羅渾 那顏 都︀魯伯 二將平之、博羅渾 那顏 卒於彼」と記せり。元史は、それよりも簡略にて、たゞ「是歲、禿滿 部 民 叛、命鉢魯完 朶魯伯平之」とありて、鉢魯完の殺︀されたる事も云はず。蓋 四傑の一人なることに心附かざりしならん。


§242(10:22:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


母と子弟とに民の分配

 ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​勅​​ミコト​ありて「​母​​ハヽ​に​子​​コ​どもに​弟​​オトヽ​どもに​民​​タミ​を​分​​ワカ​けて​與​​アタ​へん」とて​與​​アタ​ふる​時​​トキ​「​國民​​クニタミ​を​聚​​アツ​むるに​艱難︀​​カンナン​したるは、​母​​ハヽ​なるぞ。​我​​ワ​が​子​​コ​どもの​兄​​アニ​は、​拙赤​​ヂユチ​なるぞ。​我​​ワ​が​弟​​オトヽ​どもの​末​​スエ​は、​斡惕赤斤​​オツチギン​なるぞ」と​宣​​ノリタマ​ひて、​母​​ハヽ​には​斡惕赤斤​​オツチギン​