「斡兒朶オルドの房ヘヤに入イり出イづるを宿衞シユクヱイ 整トヽノへよ。門カドには宿衞シユクヱイの門者︀カドモリ(蒙語額兀迭臣エウデチン)家イヘに倚ヨりて立タて。宿衞シユクヱイより二人フタリ 入イりて大酒局タイシユキヨクを執トりて居ヲれ」と宣ノリタマへり。「〈[#底本では直前の「開き括弧」なし]〉宿衞シユクヱイより營盤官イヘヰヅカサ(蒙語嫩禿兀臣ヌントウチン)行ユきて斡兒朶オルドの房ヘヤを下オロせ(据ゑつけよ)」と宣ノリタマへり。「我等ワレラ 鷹タカ 使ツカヒひ圍獵マキガリする時トキ、宿衞シユクヱイは我等ワレラと共トモに鷹タカ 使ツカヒひ圍獵マキガリしに行ユけ。車クルマに[獲物エモノの]半ナカバを分ワけて〈[#「[獲物の]半を分けて」はママ。底本の六四五頁(§278)に訳注者本人による事後訂正あり]〉置オけ」と宣ノリタマへり。(元史 兵志に「預㆓怯薛 之職㆒、而居㆓禁近㆒者︀、分㆓冠服弓矢食飮文史車馬廬帳府庫醫藥卜祝︀之事㆒、悉世守㆑之。雖㆘以㆓才能㆒受㆓任使㆒、服㆓官政㆒、貴盛之極㆖、一日歸至㆓內庭㆒、則執㆓其事㆒如㆑故、至㆓於子孫㆒無㆑改。非㆓甚親信㆒、不㆑得㆑預也」とあり。)
§233(10:06:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
宿衞シユクヱイの軍イクサを出さざる理由
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガン 宣ノリタマはく「我等ワレラの身ミ、軍イクサに出イでずば、宿衞シユクヱイは、我等ワレラより外ホカに軍イクサに勿ナ 出イでそ」と宣ノリタマへり。「かく云イはれて、勅ミコトを越コえて宿衞シユクヱイを嫉ネタみて軍イクサを出イダすものあらば、軍イクサを知シれる扯兒賓︀チエルビン 罪ツミあるとなれ」と勅ミコトありき。「宿衞シユクヱイの軍イクサはいかんぞ出イダされざると云イへるぞ、汝等ナンヂラ。宿衞シユクヱイは、但タヾ 我等ワレラの金コガネの命イノチを守マモるなり。鷹狩タカガリ 圍獵マキガリに行ユく時トキ、働ハタラき合アふなり。斡兒朶オルドを預アヅけられて、起タつ時トキ 靜シヅカなる時トキ 車クルマを調トヽノふるなり。我ワが身ミを守マモりて宿トマること容易タヤスからんや。家イヘ 車クルマ 大老營タイラウエイを、起タつ時トキ 居ヲる時トキ 調トヽノふること容易タヤスからんや。かく重オモき離ハナれ離バナれの働ハタラきあることを云イひて、「我等ワレラより外ホカに別コトに軍イクサに勿ナ 行ユきそ」と云イへるは、かくあるぞ」と宣ノリタマひき。
§234(10:08:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
又マタ 勅ミコトあるには「失吉 忽禿忽シギ クトクの裁斷サイダンに、宿衞シユクヱイより[人ヒトを