濡ヌれ合アひ、寒サムきに寒コヾえ合アひて、福︀フクの神︀カミとなりて行ユきたるぞ、汝ナンヂ。
豁兒赤ゴルチは、かの時トキに言イはく「讖言シンゲン 實マコトとならば、上帝アマツカミに心ミコヽロに適カナはれば、我ワレに三十人サンジフニンの妻ツマ 有アらせよ」と云イひき、汝ナンヂ。今イマ 實マコトなる(讖言 實となりたる)故ユヱに、恩賜オンシして、これらの降クダれる民タミの好ヨき婦人ヲミナを好ヨき處女ヲトメを見ミて、三十人サンジフニンの妻ツマを選エラびて取トれ」と勅ミコトありき。又マタ 豁兒赤ゴルチに「三千サンゼンの巴阿𡂰バアリンの上ウヘに、塔該タガイ(卽ち速勒都︀思の塔孩)、阿失黑アシク(卽ち阿失黑 古咧堅)二人フタリと共トモに、阿荅兒斤アダルギンの赤那思チノス、(阿荅兒斤は、篾年 土敦の第五子なる合赤溫の子 阿荅兒歹より出でたり。赤那思は、喇失惕 額丁に據れば、察喇孩 領忽の子なる堅都︀ 赤那 兀嚕客眞 赤那の裔なり。赤那思 氏 分散して阿荅兒斤に屬し居たる故に、阿荅兒斤の赤那思と云へるなり。)脫斡列思トオレス、帖良古惕テリヤングト(脫斡列思は、卷十に脫額列思、蒙古 集史に禿剌思とあり。帖良古惕は、卷十に田列克、親征錄に帖良兀、集史に帖連郭惕とあり。共に謙河の源に居たる林の民)を合アハせ萬マンとなして、豁兒赤ゴルチ 知シりて、
額兒的失 河エルチシ ガハに傍ソへる林ハヤシの民タミに至イタるまで營盤イヘヰを自在ジザイに營盤イヘヰして、林ハヤシの民タミを鎭シヅマむべく、豁兒赤ゴルチ 萬戶バンコを知シれ」と勅ミコトありき。「豁兒赤ゴルチに相談サウダン 無ナくては、林ハヤシの民タミは、とにかくに勿ナ 行ユひそ。相談サウダンなくて行オコハふものをば、何ナンぞ猶豫タメラはん」と勅ミコトありき。
§208(08:43:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
主兒扯歹ヂユルチエダイの合剌合勒只惕カラカルヂトの戰功
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガンは、主兒扯歹ヂユルチエダイに宣ノリタマはく「緊要キンエウなる汝ナンヂの功イサヲは、客咧亦惕ケレイトと合剌合勒只惕カラカルヂトの沙漠サバクに戰タヽカふ時トキ、愁ウレへて居ヲる時トキ、忽亦兒荅兒 安荅クイルダル アンダは、口クチを開ヒラきたるぞ。彼カレの從事ジウジを、主兒扯歹ヂユルチエダイ 汝ナンヂは、從事ジウジしたるぞ。從事ジウジする時トキ、主兒扯歹ヂユルチエダイ 汝ナンヂは、突︀進トツシンして只兒斤ヂルギンを、禿別干トベゲンを、董合亦惕ドンガイトを、忽哩 失列門クリ シレムン