日ヒには我ワが前マヘに立タちて戰タヽカへ。多オホくの日ヒは我ワが侍衞ジヱイの番士バンシとなれ」と勅ミコトありき。
侍衞ジヱイの長ヲサなる斡歌列 扯兒必オゲレ チエルビ
「七十シチジフの侍衞ジヱイには、斡歌列 扯兒必オゲレ チエルビ〈[#ルビの「オゲレ チエルビ」は底本では「オゲレイ チエルビ」]〉 長オサとなりて居ヲれ。忽都︀思 合勒潺クドス カルチエン(卷三なる忽都︀思にて忽必來の弟)と議ハカり合アひて居ヲれ」と云イへり。
§192(07:20:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
侍衞ジヱイ 宿衞シユクヱイ 等の職掌シヨクシヤウ
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガン 勅ミコトあるには「箭筒士セントウシ(蒙語豁兒赤ゴルチ、明譯帶オブル㆓弓箭ユミヤヲ㆒的モノ、元史 兵志火兒赤ホルチ、塔察兒の傳「火兒赤 者︀、佩㆓櫜鞬㆒侍㆓左右㆒者︀也。」)侍衞 番士ジヱイ バンシ(侍衞の番士なるべし。)厨官カシハデ(蒙語巴兀兒赤バウルチ、元史 兵志「親烹飪以奉㆓上飲食㆒者︀曰㆓博爾赤㆒。」)門者︀カドモリ(蒙語額兀顚赤エウデンチ)馬官ウマヅカサ(蒙語阿黑塔赤アクタチ)ども、晝ヒルは番直バンチヨク(蒙語客失克ケシク)に入イりて、日ヒ 落オつる前マヘに宿衞シユクヱイに挪ワタして、―[馬官ウマヅカサは]騸馬センバの處トコロに―出イでて宿ヤドれ(明譯帶オブル㆓弓箭ユミヤヲ㆒的 人ヒト 幷マタ 散班サンパン 護衞ゴヱイ 厨子カシハデ 把門人カドモルヒト 等ドモハ、敎サセ㆓日裏ヒルノウチ 入イリ㆑班ハンニ 來コ㆒、至イタリ㆓日ヒ 落時オツルトキニ㆒、將ヲ㆓管的ツカサドレル 事物ジブツ㆒交付ワタシ㆓與アタヘ 宿衞シユクヱイノ 的モノニ㆒、出去宿者︀イデサリヤドルベシ。若ゴトキハ㆓管ツカサドル㆑馬ウマヲ的モノヽ㆒、守マモレ㆓著︀馬ウマヲ㆒)。宿衞シユクヱイは、夜ヨル 室ヘヤの周圍マハリに臥フすものには臥フさせて、門カドに立タつものには輪直リンチヨクして立タたしめよ。箭筒士セントウシ 侍衞ジヱイは、その翌朝ツギノアサ 我等ワレラ 湯ユを飮ノまば、宿衞シユクエイに吿ツげて、箭筒士セントウシ 侍衞ジヱイ 厨官カシハデ 門者︀カドモリども、只只タヾタヾその職分シヨクブンを行オコナへ。その居處ヰドコロに居ヰよ。[宿衞シユクヱイは、]三夜ミヨ 三日ミカ 番直バンチヨクする日ヒを盡ツクして、只タヾ 又マタ 法ハフに、依ヨり三夜ミヨ 宿ヤドり(下宿し)合アひて、替カハり合アひて、夜ヨル 宿衞シユクヱイして居ヲれ。周圍マハリに臥フして宿ヤドれ」と勅ミコトありき。かく千センを千センとし畢ヲへて、扯兒必チエルビを任ヨサして、八十ハチジフの宿衞シユクヱイ 七十シチジフの侍衞ジヱイを番士バンシに入イらしめて、阿兒孩 合撒兒アルカイ カツサルに勇士イウシどもを選エラび(選ばしめ)て、合勒合 河カルカ ガハの