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き。(

天無二日 地無二王

明譯​天上​​テンノウヘニ​​止​​タヾ​​有​​アリ​​一箇​​ヒトツノ​ ​日月​​ヒツキ​。​地上​​チノウヘニ​ ​如何​​イカンゾ​ ​有​​アラン​​兩箇​​フタリノ​ ​主人​​シユジン​。​如今​​イマ​ ​咱去​​ワレラユキテ​​將​​ヲ​​那​​カノ​ ​達達​​タタ​​取​​トラン​了。日月 二つを一箇と譯したるは違へり。修正 祕史は、この言を汪古惕 部に言ひ遣りたる言に入れたりと見えて、親征錄には、使者︀の言として「日月在天、了然見之。世豈有二王哉」と譯し、一つとも二つとも云はず、耀く光をば了然にてごまかせり。訶渥兒斯の重譯には「天に日二つ、一つの鞘に刀二つ、一つの目に眼二つ、一つの天下に二人の王あるべけんや」とあり。これは、修正 祕史の原文に拘らずして增飾したるなり。洪鈞の重譯は、刀眼の譬を省き、「我知天上惟一日一月、地下亦不兩王」と譯して、親征錄の文に近寄らせたり。元史の「天無二日、民豈有二王邪」と書けるは、祕史の文とは違へども、支那の古語にも合ひ、文意 簡明にして、筆力 雄健なり。)その​時​​トキ​その​母​​ハヽ​ ​古兒別速​​グルベス​ ​言​​イ​はく「いかにせんぞ、​彼等​​カレラ​を。

​黑​​クロ​き​忙豁勒​​モンゴル​

​忙豁勒​​モンゴル​の​民​​タミ​は、​氣息​​キソク​​忽訥兒​ ​惡​​ア​しく、​衣服​​イフク​​忽卜察速​ ​黑暗​​クロラカ​なりき。(宋の黃震の古今 紀要 逸︀編に「韃靼 之 近漢︀者︀、曰熟 韃靼、其 遠於漢︀者︀、曰生 韃靼。生 韃靼 有二、曰黑 曰白。皆 事女眞。黑 韃靼、至忒沒眞之、自 稱成吉思 皇帝」と云ひ、孟珙の蒙韃 備録に「韃靼 始起之地、處契丹 之 西北。其種有三、曰黑 曰白 曰生。今 成吉思 皇帝 及 將相 大臣、皆 黑 韃靼 也」と云ひ、又 彭大雅の黑韃 事略に「黑韃 之國、號大 蒙古」と云へり。黑 韃靼は、漢︀人の蒙古を呼べる名にして、之を黑と云へるは、蓋 衣服の黑きに由れり。然れども黑韃 事略に「其服右衽而方領、舊以氈毳革、新以紵絲金線、色用紅紫紺綠、紋以日月龍鳳、無貴賤等差」と云へば、黑衣の黑韃靼も、太宗の世に至りては、旣に文彩を尙ぶ風俗となれりしなり。)​外​​ホカ​に​遠​​トホ​ざかりて​居​​ヲ​れ。​彼等​​カレラ​の​淸​​キヨ​き​媳婦​​ヨメ​ども​息女​​ムスメ​どもを​若​​モシ​くは​取​​ト​り​來​​コ​させて、​彼等​​カレラ​の​手足​​テアシ​を​洗​​アラ​はせて、​牛​​ウシ​ ​羊​​ヒツジ​の​乳​​チ​を​若​​モシ​くは​擠​​シボ​らしめん、​只​​タヾ​」と​云​​イ​ひき。その​時​​トキ​ ​塔陽 罕​​タヤン カン​ ​言​​イ​はく「かくあらば、​何​​ナニ​か​有​​ア​らん。​彼等​​カレラ​ ​忙豁勒​​モンゴル​の​處​​トコロ​に​往​​ユ​きて、​彼等​​カレラ​の​箭筒​​ヤナグヒ​を​必​​ビ​ず​取​​ト​り​持​​モ​ち​來​​コ​ん」と​云​​イ​ひき。


§190(07:13:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


老將の諫を​聽​​キ​かざる​塔陽 罕​​タヤン カン​の狂愚

 この​言​​コトバ​につき、​可克薛兀 撒卜喇黑​​コクセウ サブラク​ ​言​​イ​はく「​嗚呼​​アア​、​大​​オホイ​なる​言​​コトバ​を​言​​イ​ふかな、​爾等​​ナムチダチ​。​嗚呼​​アア​、​懦​​ヲヂナ​き​罕​​カン​、​宜​​ヨロ​しからんや。​祕密​​ヒミツ​​你兀惕渾​にせよ(明譯​你​​ナムチ​​不​​ズ​​可​​ベカラ​​說​​イフ​​大話​​タイワヲ​。​這話​​コノハナシヲ​​你再​​ナムチフタヽビ​​休​​ナ​​說​​イフ​)」と​云​​イ​ひき。​可克薛兀 撒卜喇黑​​コクセウ サブラク​に​勸​​スヽ​められ(諫められ)てあるに、​脫兒必 塔失​​トルビ タシ​〈[#「脫兒必 塔失」は底本では「脫兒必塔失」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§190(07:13:09)の漢︀字音訳「脫兒必-塔失」に倣い二語に分割]〉と​云​​イ​ふ​使​​ツカヒ​