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​三人​​ミタリ​にてありき。​馬​​ウマ​を​闊闊出 馬丁​​ココチユ バテイ​に​執​​ト​らしめけり。​闊闊出 馬丁​​ココチユ バテイ​、その​騸馬​​センバ​を​牽​​ヒ​くと、​回​​カヘ​り​走​​ハシ​りき。

馬丁の妻の忠言

その​妻​​ツマ​ ​言​​イハ​く「​金​​コガネ​​阿勒塔塔​あるを​被​​キ​る​時​​トキ​、​滋味​​ジミ​​奄塔塔​あるを​食​​クラ​ふ​時​​トキ​、[​桑昆​​サングン​は]​我​​ワ​が​闊闊出​​ココチユ​と​云​​イ​ふなりき。​己​​オノ​が​君​​キミ​を​桑昆​​サングン​をいかんぞ かく​捨​​ス​てて​投​​ハフ​りて​去​​サ​りたる、​爾​​ナムチ​」と​云​​イ​ひて、その​妻​​ツマ​ ​立​​タ​ちて​殘​​ノコ​りけり。​闊闊出​​ココチユ​ ​言​​イ​はく「​桑昆​​サングン​を​男​​ヲトコ​にせんとてなるぞ、​汝​​ナンヂ​」と​云​​イ​ひき。その​言​​コトバ​につき、その​妻​​ツマ​ ​言​​イ​はく「​婦​​ヲンナ​の​人​​ヒト​は​狗​​イヌ​の​面​​ツラ​ありと​云​​イ​はるゝぞ、​我​​ワレ​。​彼​​カレ​の​金​​コガネ​の​盂​​ツキ​をも​與​​アタ​へ、​水​​ミヅ​も​汲​​ク​みて​飮​​ノ​ませよ」と​云​​イ​ひき。そこより​闊闊出 馬丁​​ココチユ バテイ​は、​彼​​カレ​の​金​​コガネ​の​盂​​ツキ​を​取​​ト​るとて、​後​​ウシロ​に​向​​ム​き​棄​​ス​てて​走​​ハシ​りき。かくて​來​​ク​ると、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​の​處​​トコロ​に​闊闊出 馬丁​​ココチユ バテイ​ ​來​​キ​て、

君を棄てたる馬丁の誅せられ

「​桑昆​​サングン​をかく​徹勒​​チエル​に​棄​​ス​ててて​來​​キ​ぬ、​我​​ワレ​」とて、そこに​言​​イ​ひ​合​​ア​へる​言​​イ​を​都︀​​スベ​てをみな​申​​マウ​して​上​​ア​ぐれば、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​勅​​ミコト​ありて、その​妻​​ツマ​を​恩賞​​オンシヤウ​して、その​闊闊出 馬丁​​ココチユ バテイ​をば「​正主​​セイシユ​の​君​​キミ​をかく​棄​​ス​てて​來​​キ​ぬ。かゝる​人​​ヒト​ ​今​​イマ​ ​誰​​タレ​に​伴​​トモ​とならば​倚信​​イシン​すべけん」と​云​​イ​ひて​斬​​キ​りて​棄​​ス​てたり。


§189(07:09:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​王罕​​ワンカン​の​頭​​カウベ​を​乃蠻​​ナイマン​にての祭

 ​乃蠻​​ナイマン​の​塔陽 罕​​タヤン カン​(親征錄​太陽 可汗​​タヤン カガン​、元史 太祖︀紀 太陽罕、蒙古 源流 達延 汗)の​母​​ハヽ​ ​古兒別速​​グルベス​(親征錄​菊兒八速​​グルバス​、塔陽 罕の妻)​言​​イ​はく「​王罕​​ワンカン​は、​前​​サキ​の​老​​オイ​たる​大​​オホキ​なる​罕​​カン​なりき。​彼​​カレ​の​頭​​カウベ​を​持​​モ​ち​來​​コ​よ。​其​​ソレ​ならば​祭​​マツ​らん、​我等​​ワレラ​」と​云​​イ​ひて、​豁哩 速別赤​​ゴリ スベチ​の​處​​トコロ​に​使​​ツカヒ​を​遣​​ヤ​りて、​彼​​カレ​の​頭​​カウベ​を​斷​​タ​ち