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​客咧亦惕​​ケレイト​の​民​​タミ​を​屈服​​クツプク​せしめて、​高​​タカ​き​位​​クラヰ​に​到​​イタ​りたるぞ。この​後​​ノチ​ ​我​​ワ​が​子孫​​シソン​の​子孫​​シソン​に、​位​​クラヰ​に​居​​ヲ​て、かくの​如​​ゴト​く​功​​イサヲ​を​致​​イタ​せることを​繼​​ツ​ぎ​繼​​ツ​ぎに​省​​カヘリ​みさせん」と​勅​​ミコト​ありき。

​客咧亦惕​​ケレイト​の民の分配

​客咧亦惕​​ケレイト​の​民​​タミ​を​虜︀​​トラ​​倒里​へて、​誰​​タレ​​客揑​にも​缺​​カ​​都︀塔​けざるまでに​撒​​チラ​し​合​​ア​へり。​萬​​ヨロヅ​​土綿​の​禿別延​​トベエン​(卷五の土綿 禿別干。元史 完澤の傳、土伯燕 氏)を​撒​​チラ​​禿格額勒都︀​し​合​​ア​ひて、​引受​​ヒキウ​​禿格帖列​けつゝ​取​​ト​り​合​​ア​へり。​多​​オホ​​斡欒​き​董合亦惕​​ドンガイト​を​整​​トヽノ​​斡忽合​ふる​日​​ヒ​に​到​​イタ​らず​虜︀​​トラ​へさせたるぞ。​血​​チ​​赤速禿​ある​物​​モノ​(生きたる人)を​剝​​ハ​ぎ​要​​トラ​ふる​只兒斤​​ヂルギン​の​勇士​​ユウシ​どもを​開​​ヒラ​​只速​きて​分​​ワ​けて、​共​​トモ​に​到​​イタ​る​能​​アタ​はざらしめたり。​客咧亦惕​​ケレイト​の​民​​タミ​をかく​滅​​ホロボ​して、その​冬​​フユ​は​阿卜只阿 闊迭格兒​​アブヂア コデゲル​(親征錄​阿不札 闊忒哥兒 之 山​​アブヂヤ コテゲル ノ ヤマ​)に​冬籠​​フユゴモリ​したり。


§188(07:05:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​王罕​​ワンカン​の殺︀され

 ​王罕​​ワンカン​、​桑昆​​サングン​ ​二人​​フタリ​、​身​​ミ​を​以​​モテ​て​反​​カエ​りて​出​​イ​でて​去​​サ​ると、​的的克 撒合勒​​ヂヂク サカル​の​捏坤 兀孫​​ネクン ウスン​(捏坤の水。親征錄​捏羣 烏孫 河​​ネクン ウスン ガハ​)にて​王罕​​ワンカン​ ​喉​​ノド​ ​乾​​カワ​きて​入​​イ​りたるに、​乃蠻​​ナイマン​の​斥候​​モノミ​ ​豁哩 速別赤​​ゴリ スベチ​(親征錄​火里 速八赤​​ホリ スバチ​)の​處​​トコロ​に​入​​イ​りき。​豁哩 速別赤​​ゴリ スベチ​は、​王罕​​ワンカン​を​拏​​トラ​へけり。「​我​​ワレ​は、​王罕​​ワンカン​なり」と​云​​イ​へども、​認​​ミト​めず​信​​シン​ぜずして、そこに​殺︀​​コロ​しけり。​桑昆​​サングン​は​的的克 撒合勒​​ヂヂク サカル​の​捏坤 兀孫​​ネクン ウスン​に​入​​イ​らず、​外​​ホカ​に​去​​サ​りて

​闊闊出 馬丁​​ココチユ バテイ​に​桑昆​​サングン​の棄てられ

​徹勒​​チエル​に​入​​イ​りて​水​​ミヅ​ ​求​​モト​めたるに(徹勒は、唐書の勅勒 鐵勒の音に似たり。鐵勒の故地 又は故地の一部に古名の殘れるなるべし。卷十二に徹勒の地に井を穿てる事あり、廣き地方の名に似たり。)​野馬​​ノウマ​ども(蒙語​忽剌惕​​クラト​、黃にして薄靑き馬)​䖟​​アブ​に​刺​​サ​されて​立​​タ​てるを、​桑昆​​サングン​ ​馬​​ウマ​より​下​​オ​りて​覷​​ウカヾ​ひけリ。​桑昆​​サングン​の​從者︀​​トモビト​ ​闊闊出​​ココチユ​と​云​​イ​ふ​馬丁​​バテイ​に​妻​​ツマ​ありて、​桑昆​​サングン​と