成吉思 汗 實錄チンギス カン ジツロク 卷マキの七シチ。
§186(07:01:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
かく客咧亦惕ケレイトの民タミを屈服クツプクせしめて各オノ〳〵分ワけて虜︀トラへさせたり。速勒都︀思スルドスの塔孩 巴阿禿兒タカイ バアトル(卷三の塔孩)の功イサヲの故ユヱに、一百イツピヤクの只兒斤ヂンギンを與アタへたり。又マタ 成吉思 合罕チンギス カガン 勅ミコトあり。王罕ワンカンの弟オトヽ札合敢不ヂヤカガンブに二女フタリの息女ムスメありし
その姊女アネムスメ 亦巴合 別乞イバカ ベキを(卷八の末に二たび見ゆ)成吉思 合罕チンギス カガン 自ミヅカら取トり、妹女イモトムスメ 莎兒合黑塔泥 別乞シヨルカクタニ ベキを拖雷トルイに與アタへたり(元史 本紀に、憲宗 桓肅 皇帝、諱は蒙哥、睿宗 拖雷の長子なり。母を莊獻 太后 怯烈 氏、諱は唆魯禾帖尼ソルカテニと曰ふ。后妃表に、睿宗の唆魯和帖尼 妃子、怯烈 氏、追諡 莊聖 皇后、また顯懿 莊聖 皇后とあり。拖雷は、本傳に「睿宗 景襄 皇帝、諱は拖雷、太祖︀の第四子、太宗の母弟なり」とあり。)その緣チナミに依ヨりて、札合敢不ヂヤカガンブを彼カレに從シタガふ昵近ヂツキンの民タミも圓全マトマリテ 第二ダイニの轅ナガエと爲ナれと云イひて、恩賜オンシして虜︀トラへさせざり