Page:成吉思汗実録.pdf/160

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​宿​​ヤド​れば、そこに​蒙力克 額赤格​​モンリク エチゲ​ ​言​​イ​はく「​察兀兒 別乞​​チヤウル ベキ​を​索​​モト​むれば、​彼等​​カレラ​こそは、​我等​​ワレラ​を​見下​​ミクダ​して​與​​アタ​へざりけれ。​今​​イマ​いかんぞ​特​​コト​に​許婚​​キヨコン​の​饗​​アヘ​を​喫​​ク​ひにとて​喚​​ヨ​びし。​己​​オノレ​を​大​​オホ​きくなせる​人​​ヒト​、​特​​コト​に​柰何​​イカン​ぞ​與​​アタ​へんとて​喚​​ヨ​びたりし。とやかくやの​心​​コヽロ​あり。[​我​​ワ​[ルビの#「ワ」は底本では「ワガ」。昭和18年復刻版に倣い修正]が]​子​​コ​ ​氣​​キ​を​附​​ツ​けて​往​​ユ​くべし。「​春​​ハル​になりぬ。​我等​​ワレラ​の​馬羣​​バグン​ ​痩​​ヤ​せたり。​馬羣​​バグン​を​養​​ヤシナ​はん」とて​辭​​イナ​みて​遣​​ヤ​らん」と​云​​イ​ひて、[​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は]​往​​ユ​かず、​不合台​​ブカタイ​、​乞喇台​​キラタイ​ ​二人​​フタリ​を​許婚​​キヨコン​の​饗​​アヘ​を​喫​​ク​へと​云​​イ​ひて​遣​​ヤ​りて、(親征錄は、​不花台 乞察​​ブハダイ キチヤ​の二人を王罕より喚びに遣りたる使とせり。)​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​蒙力克 額赤格​​モンリク エチゲ​の​家​​イヘ​より​回​​カヘ​りぬ。​不合台​​ブカタイ​、​乞喇台​​キラタイ​ ​二人​​フタリ​に​到​​イタ​られたれば、「​覺​​サト​られたり、​我等​​ワレラ​。​明日​​アス​の​朝​​アサ​ ​圍​​カコ​みて​拏​​トラ​へん」と​云​​イ​ひ​合​​ア​へり。


§169(05:47:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​掩襲​​エンシフ​の謀を漏せる​也客 扯嗹​​エケ チエレン​〈[#ルビの「也客 扯嗹」は底本では「也客 扯連」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉の輕率

 かく「​圍​​カコ​みて​拏​​トラ​へん」とて​言​​コトバ​を​極​​キ​め​合​​ア​ひたるを、​阿勒壇​​アルタン​の​弟​​オトヽ​(阿勒壇は、忽圖剌 合罕の子、也客 扯嗹は忽圖剌の弟 忽闌 巴阿禿兒の子なれば、兄弟に非ず。弟は、從弟の義なり。​也客 扯嗹​​エケ チエレン​、親征錄​也可 察合蘭​​エケ チヤハラン​)は、​家​​イヘ​に​來​​キ​て​言​​イ​へらく「​明日​​アス​の​朝​​アサ​ ​帖木眞​​テムヂン​を​拏​​トラ​へんと​云​​イ​ひ​合​​ア​へり。この​言​​コトバ​を​帖木眞​​テムヂン​に​言傳​​コトヅテ​を​致​​イタ​し​往​​ユ​く​人​​ヒト​をば、いかにか​但​​タヾ​ ​爲​​ナ​さるべき」と​云​​イ​ひき。かく​言​​イ​へるにより、その​妻​​ツマ​ ​阿剌黑亦惕​​アラクイト​(親征錄は、​亦剌罕​​イラハン​と書き、察合蘭の子とせり。)​言​​イ​はく「その​根無​​ネナ​しの​爾​​ナムチ​の​言​​コトバ​(明譯那​那​​ソノ​ ​泛濫​​ウキタル​ ​言語​​コトバ​、親征錄​此​​コノ​​無​​ナキ​​據​​ヨリドコロ​ 之 ​言​​コトバ​)、​何​​ナニ​となるらん。​家人​​ケニン​も​眞​​マコト​と​爲​​ナ​さん」と​云​​イ​ひき。かく​噂​​ウハサ​せる​時​​トキ​、その​馬飼︀​​ウマカヒ​ ​巴歹​​バダイ​(親征錄 元史​把帶​​バダイ​、木華黎の傳 拔台)は、​馬乳​​ウマノチ​を​送​​オク​りに​來​​キ​