忽察兒クチヤル 二人フタリ 言イはく「我等ワレラは、訶額侖 額客ホエルン エケの子コを、兄アニ阿合をば殺︀コロ阿剌して、弟オトヽ迭兀をば棄ス帖卜赤てて與アタへん」と云イひき。額不格眞エブゲヂン、那牙勤ノヤキン、合兒塔阿惕カルタアト(前の合兒荅乞歹。乞と阿と何れか誤りあらん。)言イはく「彼カレの手テ合兒を手取テト合兒荅りて、彼カレの足アシ闊勒を足取アシト闊勒迭りて與アタへん」と云イひき。脫斡哩勒トオリル 言イはく「思オモふに、往ユきて帖木眞テムヂンをその部眾ブシウを取トらん。部眾ブシウを取トられば、部眾ブシウ 無ナくならば、何ナニをかせん、彼等カレラ」と云イひき。合赤溫 別乞カチウン ベキ 言イはく「你勒合 桑昆ニルカ サングンなる子コ。汝ナンヂ 何ナニをか思オモはば、長ナガ兀兒禿き梢コズヱ兀主兀兒に深フカ古訥き底ソコ希喇兀兒に到イタ古嚕勒扯速り合アはん」と云イひて、
§167(05:42:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
桑昆サングンの繰言に迷へる王罕ワンカンの優柔
此等コレラの言コトバを言イはれて、你勒合 桑昆ニルカ サングンは、父チヽに王罕ワンカンに彼等カレラの言コトバを撒亦罕 脫迭延サイカン トデエン(親征錄寨罕 脫脫干サイカン トトゲン)もて言イひて遣ヤりき。此等コレラの言コトバを言イはれて、王罕ワンカン 言イハく「我ワが子コを帖木眞テムヂンを何ナンぞかく思オモへる、汝等ナンヂラ。今イマまで世話セワに彼カレより爲ナりて居ヰて、今イマ 我ワが子コをかく惡ワロく思オモはば、上帝アマツカミに愛イツクシまれざらん、我等ワレラ。札木合ヂヤムカは、走作ウロツキの言コトバある[人ヒト]なりき。とやかくや(蒙語勺不兀 塔不兀ヂヨブウ タブウ)言イふなり(明譯札木合ヂヤムカ 的ノ 言語ゲンゴハ、誑誕キヤウタンニシテ不ズ㆑可ベカラ㆑信シンズ。親征錄札木合ヂヤムカ、巧言カウゲンニシテ寡スクナシ㆑信シン人ヒト也ナリ。不ズ㆑足タラ㆑信シンズルニ)」と云イひて、喜ヨロコばずして遣ヤりき。又マタ 桑昆サングン 言イひて遣ヤるに「口クチあり舌シタある人ヒト 言イひ居ヲるに、何ナンぞ信シンぜられざらん」とて繰返クリカヘし言イひて遣ヤりて、聽キかれずして、己オノレ 身ミづから往ユきて言イハく「且カツ 爾ナムチがかくある時トキすら、我等ワレラを何ナニとも爲ナさざるなり(明譯你ナムチ 如今イマ 見存マノアタリニアレドモ、他俺カレハワレラ