Page:成吉思汗実録.pdf/152

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の​兀嚨古 河​​ウロング ガハ​(劉郁の西使記の龍骨 河、西域 水道記の烏隆︀古 河)に​沿​​シタガ​ひ​追​​オ​ひて​行​​ユ​く時、​也廸 土卜魯黑​​エデ トブルク​(親征錄 元史​也的 脫孛魯​​エデ トボル​)と​云​​イ​ふ​彼等​​カレラ​の​官人​​クワンニン​ ​斥候​​モノミ​に​行​​ユ​きて、​我等​​ワレラ​の​斥候​​モノミ​に​追​​オ​はれて、​山​​ヤマ​の​上​​ウヘ​に​走​​ハシ​らんとし、​肚帶​​ハラオビ​を​斷​​タ​たれて、そこに​拏​​トラ​へられき。​兀嚨古 河​​ウロング ガハ​に​沿​​シタガ​ひ​追​​オ​ひて、​乞失勒巴失 納兀兒​​キシルバシ ナウル​(乞失勒巴失の湖、親征錄 元史​黑辛八石 之 野​​ヘシンバシ ノ ノ​西使記の乞則里八寺、水道 提綱の奇薩爾巴思 鄂模、西域 水道記の噶勒札爾巴什 淖爾、また赫色勒巴什 淖爾)に​馳​​ハ​せ​到​​イタ​りて、​不亦嚕黑 罕​​ブイルク カン​をそこに​窮​​キハ​めたり。


§159(05:29:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​王罕​​ワンカン​の​心變​​コヽロガハ​り

 そこより​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​王罕​​ワンカン​ ​二人​​フタリ​ ​回​​カヘ​りて​來​​ク​る​時​​トキ​、​乃蠻​​ナイマン​ の​戰​​タヽカ​ふ(善く戰ふ)​可克薛兀 撒卜喇黑​​コクセウ サブラク​(親征錄 元史​曲薛吾 撒八剌​​コクセウ サバラ​)は、​巴亦荅喇黑 別勒赤兒​​バイダラク ベルチル​に(巴亦荅喇黑の汭 卽ち落合。親征錄​拜荅剌 邊只兒 之 野​​バイダラ ベンヂル ノ ノ​。水道 提綱、貝德勒克 河の庫冷 白兒齊爾。蒙古 遊牧記、拜達里克 河の庫倫 伯勒齊爾。この伯勒齊爾は、拜達里克 河と査克 河との落合なり。)​軍​​イクサ​を​整​​トヽノ​へて​戰​​タヽカ​はんとしけり。​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​王罕​​ワンカン​ ​二人​​フタリ​は、​戰​​タヽカ​はんとて​軍​​イクサ​を​整​​トヽノ​へて​到​​イタ​りて、​夕暮​​ユフグレ​になられて、​朝​​アシタ​に​戰​​タヽカ​はんとて​陣列​​ヂンレツ​にて​宿​​ヤド​れり。そこに​王罕​​ワンカン​その​陣處​​ヂンシヨ​に​火​​ヒ​を​燒​​タ​かせて、​夜​​ヨル​ ​便​​スナハ​ち​合喇 薛兀勒 河​​カラ セウル ガハ​に(親征錄​哈 薛兀里 河​​ハ セウリ ガハ​。哈の下、剌の字脫ちたり。)​泝​​サカノボ​りて​動​​ウゴ​きけり。


§160(05:30:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​札木合​​ヂヤムカ​の​讒言​​ザンゲン​

 そこに​札木合​​ヂヤムカ​は(闊亦田の戰に敗れ、額兒古捏 河にて王罕に降りてより、王罕の伴となりて居たれば、)​王罕​​ワンカン​と​共​​トモ​に​動​​ウゴ​き​合​​ア​ひて​行​​ユ​く​時​​トキ​、​王罕​​ワンカン​に​札木合​​ヂヤムカ​ ​言​​イ​へらく「​帖木眞​​テムヂン​なる​我​​ワ​が​安荅​​アンダ​は、​先​​サキ​より​乃蠻​​ナイマン​の​處​​トコロ​に​使聘​​シヘイ​ありき。​今​​イマ​は​來​​コ​ず。​罕​​カン​、​罕​​カン​。​居​​ヲ​​阿忽​る​白翎雀​​ハクレイジヤク​にて​我​​ワレ​はあるぞ。​渡​​ワタ​​阿只剌忽​る​吿天雀​​コクテンジヤク​