Page:成吉思汗実録.pdf/151

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て​行​​ユ​きけり」と​云​​イ​へり。この​言​​コトバ​を​成吉思 合罕​​チンギス カガン​に​奏​​マウ​したれば、​勅​​ミコト​あり「​只​​タヾ​ ​又​​マタ​ ​敵​​テキ​せんと​思​​オモ​ひて​劫賊​​ヌスビト​となりて​行​​ユ​きけり。​今​​イマ​ ​何​​ナニ​を​窺​​ウカヾ​ひにか​來​​キ​し。​彼​​カレ​が​如​​ゴト​き​者︀​​モノ​どもは、​車轄​​シヤカツ​に​比​​クラ​べたり。​何​​ナニ​ぞ​疑​​ウタガ​はん。​目​​メ​の​背處​​カゲ​(目に見えぬ處)に​棄​​ス​てよ」と​云​​イ​へり。​尋​​ツイ​で​斬​​キ​らしめたり。


§157(05:27:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​王罕​​ワンカン​の​篾兒乞惕​​メルキト​ 征伐

 その​狗​​イヌ​の​年​​トシ​、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​(「の」は、原文に「を」なる宜と誤れり。)​塔塔兒​​タタル​の​民​​タミ​の​處​​トコロ​に​出征​​シユツセイ​したる​時​​トキ​、​王罕​​ワンカン​は、​篾兒乞惕​​メルキト​の​民​​タミ​の​處​​トコロ​に​出征​​シユツセイ​して、​脫黑脫阿 別乞​​トクトア ベキ​を​巴兒忽眞 脫窟木​​バルクヂン トクム​(親征錄 元史​巴兒忽眞 之 隘​​バルフヂン ノ ハサマ​、卷一の闊勒 巴兒忽眞 脫古木)に​逐​​オ​ひて、​脫黑脫阿​​トクトア​の​大子​​オホイコ​ ​脫古思 別乞​​トグス ベキ​(親征錄​土居思 別吉​​トクス ベギ​)を​殺︀​​コロ​して、​脫黑脫阿​​トクトア​の​忽禿黑台​​クトクタイ​ ​察阿㖮​​チヤアルン​ ​二女​​フタリ​なる​彼​​カレ​の​女​​ムスメ​ども、(親征錄​忽都︀台​​フドタイ​ ​察勒渾​​チヤルフン​ ​二哈敦​​ニハトン​。女の名を合屯の名と誤れり。)​彼​​カレ​の​妃​​キサキ​どもを​取​​ト​りて、​忽圖​​クト​、​赤剌溫​​チラウン​(親征錄​和都︀​​ホド​、​赤剌溫​​チラウン​)​二人​​フタリ​なる​彼​​カレ​の​子​​コ​どもを​民​​タミ​ごめに​虜︀​​トラ​へて、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​に​何​​ナニ​も​與​​アタ​へざりき。


§158(05:28:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​成吉思 汗​​チンギス カン​ ​王罕​​ワンカン​の​乃蠻​​ナイマン​ 征伐

 その​後​​ノチ​ ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​王罕​​ワンカン​ ​二人​​フタリ​、​乃蠻​​ナイマン​の​古出古惕​​グチユグト​(乃蠻の分部の名、卷四の古出兀惕 乃蠻)の​不亦嚕黑 罕​​ブイルク カン​の​處​​トコロ​に​出征​​シユツセイ​して、​兀魯黑塔黑​​ウルクタク​(親征錄​兀魯塔 山​​ウルタ ザン​)の​鎖豁黑 兀孫​​ソゴク ウスン​(鎖豁黑の水。親征錄​莎合 水​​シヨカ ガハ​、今の科布多 河の上流なる索果克 河)に​居​​ヲ​る​處​​トコロ​に​到​​イタ​りて、​不亦嚕黑 罕​​ブイルク カン​は​對陣​​タイヂン​する​能​​アタ​はずして、​阿勒台 山​​アルタイ ザン​(今の科布多 城の西南なる阿爾泰の東南幹山)を​越​​コ​え​動​​ウゴ​きたり。​鎖豁黑 水​​ソゴク ガハ​より​不亦嚕黑 罕​​ブイルク カン​を​襲​​オソ​ひて、​阿勒台 山​​アルタイ ザン​を​越​​コ​えさせ、​忽木升吉兒​​クムセンギル​