より來キつる時トキ、何ナニとか云イひ合アひし。汝等ナンヂラの如ゴトく何ナニをか思オモはん、我ワレは」と云イひて、彼等カレラの面オモテに唾ツバキして、彼等カレラの縛シバリを解トかしめたり。罕カンに只タヾ 唾ツバキせられて、房ヘヤに居ヲる人ヒト 都︀スベてにて起タちて唾ツバキしけり。
§153(05:17:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
その冬フユ 冬籠フユゴモリして狗イヌの年トシ(我が建仁 二年 壬戌、金の秦和 二年、宋の嘉泰 二年、西紀 一二〇二年、成吉思 汗 四十一歲の時)の秋アキ、成吉思 合罕チンギス カガンは、察阿安 塔塔兒チヤガアン タタル(親征錄 元史察罕 塔塔兒チヤハン タタル、喇失惕、札干 塔塔兒)、阿勒赤 塔塔兒アルチ タタル(親征錄 元史案赤 塔塔兒アンチ タタル、喇失惕。阿勒只 塔塔兒)、都︀塔兀惕 塔塔兒ドタウト タタル(喇失惕、禿禿克魯暢 塔塔兒)、阿魯孩 塔塔兒アルカイ タタル(朶遜、別勒奎 塔塔兒、額兒忒曼、也勒奎 塔塔兒)、それらの塔塔兒タタルと荅闌 捏木兒格思ダラン ネムルゲス(親征錄荅蘭 捏木兒哥 之 野ダラン ネムルゲ ノ ノ)に對陣タイヂンして戰タヽカふ前マヘに、成吉思 合罕チンギス カガンは、軍法グンパフを言イひ合アへらく「敵人テキジンに勝カたば、財タカラの處トコロに勿ナ 立タちそ。勝カち了ヲへば、その財タカラは、我等ワレラの物モノなるぞ。分ワカち合アふぞ、我等ワレラ。敵人テキジンに退シリゾけられば、初ハジメの衝ツきだしたる地トコロにて回カヘり戰タヽカヒはん。初ハジメの衝ツきだしたる處トコロにて回カヘらざる人ヒトをば斬キらしめん」とて軍法グンパフを定サダめ合アへり。
荅闌 捏木兒格思ダラン ネムルゲスに戰タヽカひて、塔塔兒タタルを動ウゴかせり。勝カちて、兀勒灰ウルクイ 失魯格勒只惕シルゲルヂトにて[彼等カレラを]彼等カレラの國クニに集アツめて虜︀トラへたり。(兀勒灰 河と失魯格勒只惕 河と合流する處。親征錄 元史兀魯回 失連眞 河ウルフイ シレンヂン ガハ、喇失惕 集史兀魯回 失魯出兒只惕 河ウルフイ シルチユルヂト ガハ。水道 提綱に據るに、蘆河 土名は烏爾虎 河、索岳爾濟 山より出でて西南に流れ、烏朱穆秦 左翼の東を經て、西に折れ、色野爾濟 河に合ひ、右翼の界に入りて涸る。烏爾虎 河は、一統志の圖に吳兒灰 河とあり、卽ち兀勒灰 河なり。色野爾濟は、卽ち索岳爾濟にして、山の名も河の名に同じ。この色野爾濟 河は、卽ち失魯格勒只惕 河なり。魯と惕とを失ひ、格は野に轉じて、失野勒只 卽ち色野爾濟となれり。露西亞の地圖には、烏爾灰を烏拉圭とし、色野爾濟を蘇攸勒奇と