我等ワレラ」と云イへり。語カタり了ヲふれば、善ヨしと云イへり。
§147(04:49:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガン 言イはく「闊亦田コイテンに對陣タイヂンして挑イドみ合アひ勢揃セイゾロヘし合アひて居ヲる時トキ、彼カの嶺ミネの上ウヘより箭ヤ 來キて、我ワが戰タヽカふ口クチ 白シロき黃馬キイロノウマの鎖子骨アゴボネを折ヲるべく誰タレか射イける、山ヤマの上ウヘより」と云イへり。その言コトバにつき者︀別ヂエベ 言イはく「山ヤマの上ウヘより我ワレ 射イけり。今イマ 合罕カガンに死シなしめられば、掌テノヒラの如ゴトき地チを汙ケガして殘ノコらん。恩賜オンシせられば、合罕カガンの前マヘに、深フカ徹額勒き水ミヅ兀孫を橫ヨコ豁黑脫嚕ぎり、光ヒカ超堅る石イシ赤剌溫を碎クダ潮嚕くべく衝ツきて與アタへん。到イタ古兒れと云イふ地トコロに靑石アヲイシ闊闊古嚕を破ヤブ客兀魯り、出イ合勒でよと云イふ地トコロに黑石クロイシ合喇古嚕を裂サ含合嚕くべく衝ツきて與アタへん」と云イへり。成吉思 合罕チンギス カガン 言イはく「敵テキとなりたる人ヒトは、殺︀コロしたることを、敵對テキタイしたることを、身ミを隱カクして、話ハナシを諱イみて怕オソるゝなり。この事コトこそはと云イへば、却カヘツて殺︀コロしたることを、敵對テキタイしたることを諱イまず、却カヘツて吿ツげたり。伴トモとすべき人ヒトなり。」只兒豁阿歹ヂルゴアダイと云イふ名ナなりき。「我ワが戰タヽカふ口クチ 白シロき黃馬キイロノウマを鎖子骨アゴボネを射イたる故ユヱに、者︀別ヂエベと名ナづけて、戰タヽカは[しめ]ん、彼カレを」とて、者︀別ヂエベと名ナづけて「我ワが前マヘに行ユけ」と勅ミコトありき。(戰ふ口 白き黃馬、蒙語に者︀別列古 阿蠻 察罕 忽剌ヂエベレグ アマン チヤガン クラ。者︀別列古は戰ふ、阿蠻は口、察罕は白き、忽剌は黃馬なり。者︀別列古 忽剌 卽ち戰馬を殺︀したる故に、戰馬に代りて働けとて者︀別と名を賜ひたるなり。然るを、明譯文に「者︀別、軍器︀之名也」とあるは、本文の意に非ざる上に、俗文譯の文體に似ず。後人のさかしらに加へたるものなるべし)者︀別ヂエベ、泰赤兀惕タイチウトより來キて伴トモとなれる緣由コトノモトかくあり。
成吉思 汗 實錄 卷の四 終り。