ば、王罕ワンカンは、報吿シラセを致イタさるゝと、軍イクサを起オコして急イソぎ成吉思 合罕チンギス カガンの處トコロに王罕ワンカン 到イタりて來キぬ。
§142(04:32:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
王罕ワンカンに來コらるゝと、成吉思 合罕チンギス カガン 王罕ワンカン 二人フタリ 一ヒトつになりて、札木合ヂヤムカの迎ムカへに出馬シユツバせんと云イひ合アひて、客魯嗹 河ケルレン ガハに沿シタガひ出馬シユツバするに成吉思 合罕チンギス カガンは阿勒壇アルタン、忽察兒クチヤル、荅哩台ダリタイ 三人ミタリを先鋒センポウに行ユかしめたり。王罕ワンカンは、桑昆サングン(王罕の子。親征錄 元史 朮赤台の傳鮮昆セングン)、札合敢不ヂヤカガンブ〈[#「札合敢不」は底本では「札合敢木」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§142(04:33:03)の漢︀字音訳「札合敢不」に倣い修正]〉、必勒格 別乞ビルゲ ベキ 三人ミタリを先鋒センポウに行ユかしめたり。この先鋒センポウより前マヘへ又マタ 斥候モノミを遣ヤるに、額捏堅 歸列禿エネグン クイレトに(親征錄捏干 貴因都︀ネゲン クイント捏の上 額の字を脫し、列は因と誤れり。)一坐ヒトクミの斥候モノミを放ハナちたり。其ソレの彼方カナタ 徹克徹兒チエクチエル(卷一 卷二の扯克徹兒。親征錄徹徹兒 山チエチエル ザンまた徹兒山)に一坐ヒトクミの斥候モノミを放ハナたしめたり。其ソレの彼方カナタ 赤忽兒忽チクルク(親征錄赤忽兒黑 山チフルク ザン)に一坐ヒトクミの斥候モノミを放ハナたしめたり。我等ワレラの先鋒センポウ 阿勒壇アルタン、忽察兒クチヤル、桑昆サングン 等ラ、兀惕乞牙ウトキヤに到イタりて、下馬ゲバせんと言イひ合アひ居ヲる時トキ、赤忽兒忽チクルクに放ハナてる斥候モノミより人ヒト 走ハシりて來キて「敵テキ 來キぬ」と云イふ報吿シラセを送オクり來キぬ。その報吿シラセ 來クると、下馬ゲバせず、敵テキの迎ムカへに(敵を迎へて)報吿シラセを取トらん(偵察せん)とて、行ユきて近チカづきて、報吿シラセを取トり(偵察し)て、備ソナヘありやと探サグれば、札木合ヂヤムカの先鋒センポウは、忙豁勒モンゴルより阿兀出 把阿禿兒アウチユ バアトル、乃蠻ナイマンの不亦嚕黑 罕ブイルク カン、篾兒乞惕メルキトの脫黑脫阿 別乞トクトア ベキの子コ 忽禿クト、斡亦喇惕オイラトの忽都︀合 別乞クドカ ベキ、この四人ヨタリ、札木合ヂヤムカの先鋒センポウに行ユきけり。我等ワレラの先鋒センポウは、彼等カレラの處トコロに呼ヨび