見マミえて言イはく「爾ナムチの戶口トグチ孛莎合の奴ヤツコ孛斡勒となさん。爾ナムチの戶口トグチ孛莎合より逃廻ニゲマハ不勒只らば、彼カレの脚筋アシノスヂ孛兒必を斷キれ。爾ナムチの門カド額兀顚の近習キンジユ奄出の奴ヤツコとなさん。爾ナムチの門カド額兀顚より離ハナ赫亦魯れば、彼カレの肝カン額里格惕を割サ額惕客きて棄スてよ」と云イひて與アタへたり。赤剌溫 孩赤チラウン カイチも、統格トンゲ、合失カシなる二人フタリの子コを成吉思 合罕チンギス カガンに見マミえ[しめ]て言イはく「爾ナムチの金コガネ阿勒壇の戶口トグチを守マモりて居ヰ阿禿孩よとて奉タテマツれり、我ワレ。爾ナムチの金コガネ阿勒壇の戶口トグチより外ホカ昻吉荅に去サらば、彼カレの命イノチ阿米を絕タちて棄スてよ。爾ナムチの寬ヒロ斡兒堅き門カドを擡モタげて上ア斡克げよ(擡ぐる事をして上げよ)とて奉タテマツ斡克れり、我ワレ。爾ナムチの寬ヒロき門カド斡兒堅より外ソト斡額咧に去サ斡都︀らば、彼カレの心臟シンザウ斡咧を蹈フみて棄スてよ」と云イへり。者︀卜客ヂエブケをば、合撒兒カツサルに與アタへたり。
主兒勤ヂユルキン〈[#「主兒勤」は底本では「主兒勒」]〉の家より得たる幼兒ヲサナゴ 孛囉兀勒ボロウル
者︀卜客ヂエブケは、主兒勤ヂユルキンの營盤イヘヰより孛囉兀勒ボロウル(親征錄 元史博羅渾ボロフン、元史 本傳博爾忽ボルフ)と云イへる小チヒサき幼兒オサナゴを伴ツれ來キて、訶額侖 額客ホエルン エケに見マミゆべく與アタへたり。
§138(04:24:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
訶額侖 額客ホエルン エケは、篾兒乞惕メルキトの營盤イヘヰより得エられたる古出グチユ(卷三の曲出)と云イふ幼兒ヲサナゴを、泰赤兀惕タイチウトの內ウチなる別速惕ベストの營盤イヘヰより得エられたる闊闊出ココチユと云イふ幼兒ヲサナゴを、塔塔兒タタルの營盤イヘヰより得エられたる失吉刊 忽禿忽シキケン クトクと云イふ幼兒ヲサナゴを、主兒勤ヂユルキンの營盤イヘヰより得エられたる孛囉兀勒ボロウルと云イふ幼兒ヲサナゴを、この四人ヨタリを家イヘの內ウチに養ヤシナふに、訶額侖 額客ホエルン エケは、「子コども[の爲タメ]に、晝ヒル兀都︀兒は視︀ミ兀者︀る目メ、夜ヨル雪泥は聽キ莎那思く耳ノミと誰タレに爲ナらしめんか」とて、家イヘの內ウチに養ヤシナへり。