を掠カスむる時トキ、一人ヒトリの小チヒサき幼兒ヲサナゴを棄スてたるを我等ワレラの軍士イクサビトども營盤イヘヰより得エけり。金コガネの環ワの鼻環ハナワある、金絲キンシの布ヌノに貂鼠テウソにて裏附ウラヅけたる腹掛ハラガケある小チヒサき幼兒ヲサナゴを伴ツれ來キて、成吉思 合罕チンギス カガンは、訶額侖 額客ホエルン エケに給事キフジにとて與アタへたり。訶額侖 額客ホエルン エケ 言イはく「好ヨき人ヒトの子コなるぞ。家系イヘスヂ 善ヨき人ヒトの胤タネなるぞ。五人イツタリの子コには弟オトヽ、第六ダイロクにて子コとなさん。」失乞刊 忽都︀忽シキケン クドクと名ナづけて母ハヽ 育ヤシナへり。(後の文には失吉 忽禿忽とありて、刊の字なし。親征錄 元史に、忽都︀忽、元史 太宗紀に胡土虎ともあり。)
§136(04:18:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
主兒勤ヂユルキンの殺︀掠を聞ける成吉思 汗チンギス カンの怒
成吉思 合罕チンギス カガンの老營ラウエイは、哈哩勒禿 納兀兒ハリルト ナウルに在アりき。(哈哩勒禿 湖 親征錄哈連徒澤ハレントタク。露西亞の地圖に、克魯倫 河の南流の東に折るゝ處より西南に當り、哈里隆︀ 湖あり。露國 東方 經營 圖には、哈里隆︀ 湖なく、それより東に倚りて、ハラリオル泊あり。哈哩勒禿 湖は、この二湖の內なるべし。)老營ラウエイに殘ノコれる者︀モノを、主兒勤ヂユルキンは、五十ゴジフの人ヒトの衣服キモノを剝ハぎけり。十トヲの人ヒトを殺︀コロしけり。「主兒勤ヂユルキンに然シカ 爲ナされたり」とて、我等ワレラの老營ラウエイに殘ノコれる者︀モノども、成吉思 合罕チンギス カガンに吿ツげたれば、この報吿シラセを聽キくと、成吉思 合罕チンギス カガン 甚イタく怒イカりて言イはく「主兒勤ヂユルキンにいかでか かく爲ナされたりし、我等ワレラ。斡難︀オナンの林ハヤシに筵會ウタゲせる時トキ、厨官カシハデ 失乞兀兒シキウルをも彼等カレラ 打ウちたり。別勒古台ベルグタイの肩カタをも彼等カレラ 斫キりたり。睦ムツび合アはんと云イはれて、豁哩眞 合屯ゴリヂン カトン、忽兀兒臣クウルチン 二女フタリを還カヘして與アタへたり、我等ワレラ。その後ノチ 曩サキの讎アタあり怨ウラミある我等ワレラの御祖︀ミオヤなる父チヽを失ウシナひたる塔塔兒タタルを夾攻ハサミゼメに出馬シユツバせんとて、主兒勤ヂユルキンを六日ムユカ 待マちても來コられざりき。今イマ 又マタ 敵テキに倚ヨり、敵テキに彼等カレラも爲ナ