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​定​​サダ​め​合​​ア​ひて、これより​盟​​チカヒ​して、​帖木眞​​テムヂン​を​成吉思 合罕​​チンギス カガン​(强盛なる大君)と​名​​ナ​づけて、​罕​​カン​となしたり。(帖木眞の汗となれるは、蒙古 源流に據れば、己酉の年にして、二十八歲の時なり。己西の年は、我が後鳥羽︀ 天皇 文治 五年、宋の淳熙 十六年、金の大定 二十九年、西紀 一一八九年なり。


§124(03:44:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


新庭の政務分任

 ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​、​罕​​カン​と​爲​​ナ​ると、​孛斡兒出​​ボオルチユ​の​弟​​オトヽ​ ​斡歌來 徹兒必​​オゲライ チエルビ​(前の斡歌連 徹兒必)、​節︀筒​​ヤナグヒ​を​帶​​オ​べり。

​豁兒赤​​ゴルチ​

​合只溫 脫忽喇溫​​カヂウン トクラウン​(前の合赤溫 脫忽喇溫)、​箭筒​​ヤナグヒ​を​帶​​オ​べり。​哲台​​ヂエタイ​、​多豁勒忽 徹兒必​​ドゴルク チエルビ​、​兄弟​​アニオトヽ​ ​二人​​フタリ​、​箭筒​​ヤナグヒ​を​帶​​オ​べり。(箭筒を蒙語に豁兒と云ひ、箭筒を帶ぶる者︀を豁兒臣 又は豁兒赤と云ふ。元史 塔察兒の傳に「​火兒赤​​ホルチ​ ​者︀​​ハ​、​佩​​オビテ​​櫜鞬​​ヤナグヒユブクロヲ​​侍​​ハベル​​左右​​サイウニ​​者︀​​モノ​​也​​ナリ​」とあるは、これなり。

​巴兀兒赤​​バウルチ​

​汪古兒​​ヲングル​(前の翁古兒)、​雪亦客禿 徹兒必​​シエイケト チエルビ​、​合荅安 荅勒都︀兒罕​​カダアン ダルドル​ ​三人​​ミタリ​ ​言​​イ​はく「​朝​​アシタ​​馬納合兒​の​飲物​​ノミモノ​を​勿​​ナ​ ​缺​​カ​​篾古迭兀勒​かせそ。​夕​​ユフベ​​兀迭​の​飮物​​ノミモノ​を​勿​​ナ​ ​慢​​オコタ​​斡莎勒荅​りそ」とて、​巴兀兒臣​​バウルチン​と​爲​​ナ​れり。(巴兀兒臣、また巴兀兒赤と云ふ。元史 兵志に「​親烹餁以​​ミヅカラハウジンシテ​​奉​​タテマツル​​上飮食​​カミニインシヨクヲ​​者︀​​モノヲ​、​曰​​イフ​​博爾赤​​ボールチト​とあるは、これなり。

​豁你赤​​ゴニチ​

​迭該​​デガイ​ ​言​​イ​はく「​二歲​​ニサイ​​失列古​の​羯羊​​カツヤウ​​亦兒格​〈[#左ルビの「亦兒格」は底本では、直前の字句「二歲の」についているが、白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§124(03:45:06)の漢︀字音訳に倣い左ルビの位置を修正]〉を​渴​​カワ​かしめて、​朝​​アシタ​​馬納合兒​に​勿​​ナ​ ​缺​​カ​​篾古迭​きそ。​寢​​イ​​豁那黑​ぬる​時​​トキ​に​勿​​ナ​ ​後​​オク​​豁只荅​れそ。​花​​ハナ​​阿剌黑赤兀惕​の​色​​イロ​の​羊​​ヒツジ​を​牧​​ノガヒ​​阿都︀兀剌​して、​車底​​シヤテイ​​阿藍​に​滿​​ミタ​さん。​黃色​​キイロ​​晃豁黑赤兀惕​の​羊​​ヒツジ​​豁你惕​を​牧​​ノガイ​して、​圈子​​カコヒ​​豁團​に​滿​​ミタ​さん。​貪食​​クヒスギ​​豁斡闌察兒​は​惡​​アシ​くありき、​我​​ワレ​。​羊​​ヒツジ​​豁你惕​を​牧​​ノガヒ​して、​白腸​​ハクチヤウ​​管只牙孫​を​食​​クラ​はん、​我​​ワレ​」とて、​迭該​​デガイ​は、​羊​​ヒツジ​を​牧​​ノガヒ​せり。(羊を豁紉と云ひ、羊飼︀を豁你臣 又は豁你赤と云ふ。元史 兵志の火你赤は、これなり。

​抹赤​​モチ​ ​卽​​スナハ​ち木匠

その​弟​​オトヽ​ ​古出古兒​​グチユグル​(前の窟出古兒)​言​​イ​はく「​鎖​​クサリ​​搠斡兒合​ある​車​​クルマ​を、その​轄​​クサビ​​赤兀​を​勿​​ナ​ ​倒​​タフ​​赤兀迭兀勒​れしめそ。​車軸​​シヤヂク​​騰吉思格​ある​車​​クルマ​を、​車路​​クルマヂ​​帖兒格兀兒​の​上​​ウヘ​に​勿​​ナ​ ​壞​​ヤブ​​帖兒咧兀勒​れしめそ」と​云​​イ​ひて、「​房​​ヘヤ​ ​車​​クルマ​を​治​​ヲサ​めん」と​云​​イ​へり。​多歹 扯兒必​​ドダイ チエルビ​(前に見えざる人)は、「​家​​イヘ​の​內​​ウチ​の​婢僕​​メシツカヒ​どもを​統​​ス​べん」と​云​​イ​へり。

​兀勒都︀赤​​ウルドチ​

​忽必來​​クビライ​、​赤勒古台​​チルグタイ​、​合兒孩 脫忽喇溫​​カルカイ トクラウン​(前の合喇孩 脫忽喇溫)​三人​​ミタリ​に