の莎兒合禿 主兒乞シヨルカト ヂユルキ(卽ち卷一の忽禿黑禿 禹兒乞)の子コ 撒察 別乞サチヤ ベキ(卽ち卷一の薛扯 別乞)泰出タイチユ(卽ち卷一の台出)二人フタリの一團イチダン、又マタ 捏坤 太石ネクン タイシの子コ 忽察兒 別乞クチヤル ベキ(親征錄 元史火察兒ホチヤル)の一團イチダン、又マタ 忽禿剌 罕クトラ カン(卷一の忽圖剌 合罕)の子コ 阿勒壇 斡惕赤斤アルタン オツチギン(卷一の阿勒壇)の一團イチダン、是等コレラは又マタ 札木合ヂヤムカより離ハナれ動ウゴきて、帖木眞テムヂンに乞木兒合 小河キムルカ ヲガワの阿亦勒 合喇合納アイル カラカナに下馬ゲバして居ヲる處トコロに會アひ下馬ゲバせり。
二フタたび古咧勒古グレルグの靑湖の札營
其處ソコより起タちて、古咧勒古 山グルレグ ザンの內ウチなる桑古兒 小河サングル ヲガハの合喇 主嚕堅カラ ヂユルゲン(卷二の合喇 只嚕竪)の闊闊 納兀兒ココ ナウル(靑き湖水)に下馬ゲバせり。
§123(03:42:10)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
成吉思 合罕チンギス カガン 推戴スヰタイの盟チカヒ
阿勒壇アルタン、忽察兒クチヤル、撒察 別乞サチヤ ベキ 等ナド 議ハカり合アひて、帖木眞テムヂンに言イへらく「汝ナンヂを罕カンと爲ナさん。帖木眞テムヂンを罕カンとなさば、我等ワレラは多オホ斡欒き敵テキに先鋒センポウ阿勒斤赤に奔ハシりて、顏カホ汪格 好ヨき少女ヲトメ斡勤 妃キサキを、帳殿チヤウデン斡兒朶格兒の房ヘヤ[に入イ斡囉りて、得エ斡勒て伴ツ阿卜赤喇れ來キて與アタ斡克へん、我等ワレラ。]他國民アダシクニタミ合哩亦兒堅の顋ホヽ合察兒 美ウツクしき妃キサキ合屯 少女ヲトメを、臀節︀シリブシ合兒含 好ヨき騸馬センバに騎ノ合塔喇らしめて伴ツレれ來キて與アタへん、我等ワレラ。野ノ兀囉阿の獸ケダモノを卷狩マキガリせば、先驅サキガケ兀禿喇して與アタへん、我等ワレラ。(卷六なる成吉思 汗の阿勒壇 忽察兒を責めたる語と較ぶるに、こゝにも一句脫ちたるに似たり。)曠野アレノ客額兒の獸ケダモノの腹ハラ客額里を一竝ヒトナラビに寄ヨせて與アタへん。懸崖キリギシ昆の獸ケダモノの腿モヽ忽牙を一竝ヒトナラビに寄ヨせて與アタへん、我等ワレラ。戰タヽカ合惕忽ふ日ヒに汝ナンヂの號令ガウレイ合剌に違タガはば、我等ワレラの家業ナリハヒ合哩失哩より妃キサキ合屯 婦人ヲミナより離ハナ合合察れさせて、我等ワレラの黑クロ合喇き頭カシラを地ヂ合札兒の土ツチに棄スてて去サれ。平タヒラ昻客けき日ヒに汝ナンヂの協議ケフギ額耶を壞ヤブらば、我等ワレラの男ヲトコ額咧思どもの家業ナリハヒより妻ツマ額篾 子コ可兀より別ワカ希哩扯れさせて、主アルジ額者︀なき地トコロに棄スてて去サれ。」かく言コトバを