りき。(玩葵生の蒙古 吉林 土風記 に曰く「羅丹、鹿蹄骨也。舊俗、以㆓蹄腕骨㆒、隨㆑手 攤擲 爲㆑戯、視︀㆓其偃仰橫側㆒、爲㆓勝負㆒。小者︀以㆑麞、大者︀以㆑鹿、瑩澤如㆑玉。兒童婦女、圍坐攤擲以相樂。以㆓薄圓㆒擊㆑之、則曰㆓伯格㆒。又有㆓較㆑遠之戲㆒、趨㆓冰上㆒、以㆑中爲㆑勝、名曰㆓撒罕㆒」と云へり。撒罕は、骨なる蒙語 撒合の轉なり。帖木眞 札木合の、冰の上にて髀石を打てるは、いはゆる較遠の戲れなるべし。)その後ノチの春ハル、木作キヅクリの弓ユミにて箭ヤを射合イアひて居ヲる時トキ、札木合ヂヤムカは、二歲牛ニサイノウシの二フタつの角ツノを粘ツけて孔アナあけて聲コヱある響︀𩪛頭ナリカブラ(鳴鏑)を帖木眞テムヂンに與アタへて、帖木眞テムヂンの柏ヒノキの頭カシラある鏑矢カブラヤと換カへ合アひて、安荅アンダに爲ナり合アへり。二フタたび安荅アンダと云イひ合アひたる緣故コトノモト、かくあり。
§117(03:27:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
曩サキに老人トシヨリだちの言コトバを聞キきて「安荅アンダの人ヒトは命イノチ阿民 一ヒトつにて棄スて合アはず、命イノチ阿民の護マモリ阿哩赤となるなり」とて、親シタシみ合アへる緣故コトノモト、かくあり。今イマ 又マタ 安荅アンダを爲直シナオして親シタシまんと云イひ合アひて、帖木眞テムヂンは、篾兒乞惕メルキトの脫黑脫阿トクトアを掠カスめて取トれる黃金コガネの帶オビを札木合 安荅ヂヤムカ アンダに繋カけさせたり。脫黑脫阿トクトアの久ヒサしく交尾コウビせざる鬛黑タテガミクロき馬ウマに札木合 安荅ヂヤムカ アンダを乘ノらせたり。札木合ヂヤムカは、兀洼思 篾兒乞惕ウワス メルキトの歹兒 兀孫ダイル ウスンを掠カスめて取トれる黃金コガネの帶オビを帖木眞 安荅テムヂン アンダに繋カけさせたり。又マタ 歹兒 兀孫ダイル ウスンの角ツノある子羊コヒツヂの如ゴトき白馬シロウマに帖木眞テムヂンを乘ノらせたり。豁兒豁納黑 河原ゴルゴナク ガハラの忽勒荅合兒クルダカルの崖キリギシの前マヘに繁シゲれる木キ[の下シタ](忽圖剌 合罕の卽位したる處)に安荅アンダと云イひ合アひて親シタシみ合アひて、筵會ウタゲし歡ヨロコび樂タノシみ合アひて、夜ヨルは衾フスマ 一ヒトつに臥フし合アひたりき。
§118(03:29:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
疑ウタガはしき札木合ヂヤムカの言イひ出ダし
帖木眞テムヂン 札木合ヂヤムカ 二人フタリ 親シタシみ合アふこと一年ヒトトセ、次ツギの年トシの半ナカバま