に言イへらく「我ワが子コどもは、合惕カト(罕の複稱)になれりと吿ツげられたり、我ワレ。此處コヽに惡アシき人ヒトに配トツぎて、今イマ 子コどもを面オモテをいかで見ミん、我ワレ」と云イひ、走ハシりて密シゲき林ハヤシに鑽キり入イりき。かくて尋タヅねて得エられざりき。別勒古台 那顏ベルグタイ ノヤン(別勒古台 官人)は、篾兒乞惕メルキトの只タヾ 骨ホネある人ヒト(人と云う人)に「我ワが母ハヽを伴ツれ來コよ」と云イひては、𩪛頭箭カブラヤにて射殺︀イコロすなりき。
不兒罕 獄ブルカン ダケを圍カコみ合アひたる三百サンビヤクの篾兒乞惕メルキトを子孫シソンの子孫シソンに至イタるまで灰ハヒを吹拂フキハラふが如ゴトく滅ホロボせり。殘ノコれる彼等カレラの妻子ツマコは、抱イダくべき者︀モノどもをば抱イダけり。門カドに入イらしめらるべき者︀モノどもをば門カドに入イらしめたり(明譯彼的其餘妻子毎カレノソノアマレルツマコドモ、可ベキ㆓以做ナス㆒㆑妻的做ツマトモノハナシ㆓了妻ツマ㆒、做ナスベキ㆓奴婢ニヒト㆒的做モノハナセリ㆓了奴婢ヌヒト㆒。)
§113(03:22:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
王罕ワンカン 札木合ヂヤムカに帖木眞テムヂンの感謝
脫斡哩勒 罕トオリル カン、札木合ヂヤムカ 二人フタリを帖木眞テムヂン 感謝カタジケナみて言イはく「我ワが罕 額赤格カン エチゲ、札木合 安荅ヂヤムカ アンダ 二人フタリに伴トモと爲ナられて、皇天 后土アマツカミ クニツカミに力チカラを添ソへられて、稜威ミイツ額兒客ある皇天アマツカミに名ナのりて。母ハヽ額客なる土地クニに到イタ額禿堅らしめて、(天を父とし、地を母とする故に、敵の國土をも母と云へり。到らしむは、到らしめらるの意なるべし。)男ヲトコ額咧の怨ウラミある篾兒乞惕メルキトの民タミを、彼等カレラの懷フトコロ額不兒も空カラ豁黑脫兒灰になしたり。彼等カレラの肝カン赫里格も半ナカバ含帖勒にしたり、我等ワレラ。彼等カレラの位クラヰ斡囉〈[#左ルビの「斡囉」は底本では「幹囉」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉も空カラ豁黑脫兒灰になしたり。親族ウカラ兀嚕渾の人ヒトをも失ウシナ兀營惕格はしめたり、我等ワレラ。彼等カレラの殘ノコ許列克薛惕れる者︀ノコどもをも掠カスめたるぞ、我等ワレラ。篾兒乞惕メルキトの民タミをかく壞ヤブりて退シリゾかん」と云イひ合アへり。