て、さて認ミトめ合アひて、札木合ヂヤムカ 言イはく「風雪フヾキ孛囉安になる孛魯とも約束ヤクソク孛勒札勒には、兩アメ忽剌になるとも聚會ヨリアヒ忽喇勒には勿ナ 後オクれそと語カタり合アはざりしか。我等ワレラ 忙豁勒モンゴルには、者︀ヂエ(諾する聲にて、我等のハイと云ふに等しき辭)は誓チカヒしたるに異コトならんや。者︀ヂエより後オクれたる者︀モノは、班列ハンレツ者︀兒格より出イダさんと語カタり合アひき」と云イへり。札木合ヂヤムカの言コトバにつき、脫斡哩勒 罕トオリル カン 言イはく「約會ヤククワイの地トコロに三日ミカ 後オクれて立タてりとて、罰ツミナふこと咎トガむることを札木合ヂヤムカ 弟オトヽ 知シれ」と云イへり。約會ヤククワイの咎トガめは、かく言イひ合アひて、
§109(03:13:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
孛脫罕 孛斡兒只ボトカン ボオルヂより動ウゴきて、乞勒豁 河キルゴ ガハに到イタりて筏イカダ 組クみて渡ワタると、不兀喇 原ブウラ バラに、脫黑脫阿 別乞トクトア ベキ(別乞は、族長の稱)の天窻ソラマド額嚕格の上より緊要キンエウ額兒勤なる帳房骨チヤウバウコツ額額迭を倒タフ唵不嚕すべく衝ツき入イりて、彼カレの妻ツマ額篾 子コ可兀を盡ツ額出勒くるまで虜︀トラへたり、彼カレの福︀神︀フクノカミ忽禿黑の帳房骨チヤウバウコツを折ヲ忽忽嚕るべく衝ツきて、彼カレの都︀スベ豁脫剌ての部眾ブシウを絕タ豁乞喇ゆるまで虜︀トラへたり。脫黑脫阿 別乞トクトア ベキに、睡ネムりて居ヲる程ホドに到イタるべきを、乞勒豁 河キルゴ ガハに居ヲる魚取ウヲトリ、貂鼠取テウソトリ 、野獸取ケダモノトリ、散チりたる者︀モノども、「敵テキ 來キぬ」とて夜通ヨドオし走ハシり報吿シラセを致イタし去サりき。その報吿シラセを致イタさるゝと、脫黑脫阿トクトア、兀洼思 篾兒乞惕ウワス メルキトの歹兒 兀孫ダイル ウスン 二人フタリ 合アひて、薛涼格 河セレンゲ ガハに沿シタガひ巴兒忽眞バルクヂン(今の巴爾古精︀ 河の邊)に入イり、僅ワヅカにその身ミを走ハシり遁ノガれけり。
§110(03:15:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
帖木眞テムヂン 孛兒帖ボルテの再會サイクワイ
篾兒乞惕メルキトの部眾ブシウ、薛涼格 河セレンゲ ガハに沿シタガひ走ハシりて行ユく時トキ、我ワ