Page:成吉思汗実録.pdf/106

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より​一萬人​​イチマンニン​、​二萬人​​ニマンニン​となりて、​斡難︀ 河​​オナン ガハ​を​泝​​サカノボ​り​往​​ユ​きて、​孛脫罕 孛斡兒只​​ボドカン ボオルヂ​に​約會​​ヤククワイ​の​地​​トコロ​に​會​​クワイ​し​合​​ア​はん」と​言​​イ​ひて​遣​​ヤ​りぬ。


§107(03:09:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​王罕​​ワンカン​ ​帖木眞​​テムヂン​の出陣

 ​札木合​​ヂヤムカ​の​此​​コ​の​言​​コトバ​を、​合撒兒​​カツサル​ ​別勒古台​​ベルグタイ​ ​二人​​フタリ​ ​來​​キ​て、​帖木眞​​テムヂン​に​言​​イ​ひて、​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​に​傳言​​デンゴン​を​致​​イタ​せり。​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​は、​札木合​​ヂヤムカ​の​此​​コ​の​言​​コトバ​を​致​​イタ​さるゝと、​二萬人​​ニマンニン​にて​出馬​​シユツバ​せり。「​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​ ​出馬​​シユツバ​するに、​不兒罕 獄​​ブルカン ダケ​の​前​​マヘ​なる​客魯嗹​​ケルレン​の​不兒吉 岸​​ブルギ ガシ​を​指​​サ​して​來​​キ​ぬ」とて、​帖木眞​​テムヂン​は、​不兒吉 岸​​ブルギ ガシ​に​居​​ヰ​たるに、「​路​​ミチ​(脫斡哩勒 罕の路)の​處​​トコロ​にあり」とて、​移​​ウツ​りて​統格黎克​​トンゲリク​に(卷一の統格黎克 小河と名同じけれども、彼は斡難︀の源に在り、是は客魯嗹の源に在りて、同じからず、却て卷二の騰格里 小河に同じきに似たり。)​泝​​サカノボ​り​起​​タ​ちて、​塔納 豁兒歡​​タナ ゴルゴン​(塔納 小河、內府 輿圖の特納 河、克魯倫 河の上流に流れ入る小河)にて​不兒罕 獄​​ブルカン ダケ​の​前​​マヘ​に​下馬​​ゲバ​して、​帖木眞​​テムヂン​は、そこより​軍​​イクサ​を​起​​オコ​して​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​は​一萬人​​イチマンニン​、​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​の​弟​​オトヽ​ ​札合敢不​​ヂヤカガンブ​(親征錄 元史​札阿紺孛​​ヂヤアガンボ​)は​一萬人​​イチマンニン​、​二萬人​​ニマンニン​にて​乞木兒合 豁兒歡​​キムルカ ゴルゴン​の(乞木兒合 小河。豁兒歡は、豁囉罕に同じ。)​阿亦勒 合喇合納​​アイル カラカナ​に​下馬​​ゲバ​して​居​​ヲ​るに​會​​ア​ひ​下馬​​ゲバ​せり。


§108(03:11:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​王罕​​ワンカン​の後れたるを​札木合​​ヂヤムカ​の​咎​​トガ​め

 ​帖木眞​​テムヂン​、​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​、​札合敢不​​ヂヤカガンブ​ ​三人​​ミタリ​ ​一​​ヒト​つになりて、そこより​動​​ウゴ​きて​斡難︀​​オナン​の​源​​ミナモト​なる​孛脫罕 孛斡兒只​​ボトカン ボオルヂ​に​到​​イタ​りぬれば、​札木合​​ヂヤムカ​は​約會​​ヤククワイ​の​地​​トコロ​に​三日 前​​ミカ マヘ​に​到​​イタ​りてけり。​札木合​​ヂヤムカ​は、この​帖木眞​​テムヂン​、​脫斡哩勒​​トオリル​、​札合敢不​​ヂヤカガンブ​ ​等​​ラ​の​軍​​イクサ​どもを​見​​ミ​ると、​札木合​​ヂヤムカ​は、​二萬​​ニマン​の​軍​​イクサ​を​整​​トヽノ​へて​立​​タ​ちけり。この​又​​マタ​ ​帖木眞​​テムヂン​、​脫斡哩勒 罕​​トオリル カン​、​札合敢不​​ヂヤカガンブ​ ​等​​ラ​も、その​軍​​イクサ​どもを​整​​トヽノ​へて​到​​イタ​り​合​​ア​ひ