散チ不塔喇りたる汝ナンヂの部眾ブシウを纏マト不古惕格勒都︀め合アひて與アタへん。黑クロ合喇き貂鼠テウソの裘カハコロモの返禮ヘンレイ合哩兀に、離ハナ合合察れたる汝ナンヂの部眾ブシウを集アツ含禿惕合勒都︀め合アひて與アタへん」とて、「腔子コウシ扯客咧の胸ムネ扯額只に存アれ。腰コシ孛可咧の尖サキ孛克薛に存アれ」と云イはざりしか、我ワレ。今イマ 彼カの言コトバに從シタガはんと、貂鼠テウソ不魯罕の裘カハコロモの返體ヘンレイに、都︀スベ不古迭ての篾兒乞惕メルキトを滅ホロボ不咧勒すまで、汝ナンヂの孛兒帖 兀眞ボルテ ウヂンを救スク阿不喇ひて與アタへん、我ワレ。黑クロ合喇き貂鼠テウソの裘カハコロモの返禮ヘンレイに、普アマネ合木黑き篾兒乞惕メルキトを打破ウチヤブ合勒塔赤りて、汝ナンヂの妃キサキ合屯 孛兒帖ボルテを回カヘ合哩兀勒らせて伴ツれ來キなん、我等ワレラ。汝ナンヂは、札木合 迭兀ヂヤムカ デウ〈[#「札木合 迭兀」は底本では「札木合迭兀」。「元朝秘史」§104(03:02:07~08)の漢︀字音訳に倣い二語に分割]〉に(札木合なる弟。年少き故に、弟と云へり。)傳言デンゴンして遣ヤれ。札木合 弟ヂヤムカ オトヽは、豁兒豁納黑 主不兒ゴルゴナク ヂユブル(豁兒豁納黑 河原、小河の河原)に居ヲるぞ。我ワレは、此處コレより二萬人ニマンニンにて右ミギの手テとなり出馬シユツバせん。札木合 弟ヂヤムカ オトヽは、二萬人ニマンニンとなりて左ヒダリの手テとなり出馬シユツバせよ。我等ワレラの約會ヤククワイ(會合の場所 時日)は、札木合ヂヤムカより爲セよ」と云イへり。
§105(03:03:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
札木合ヂヤムカの救を求むる帖木眞テムヂンの使
帖木眞テムヂン、合撒兒カツサル、別勒古台ベルグタイ 三人ミタリは、脫斡哩勒 罕トオリル カンより回カヘりて家イヘに到イタりて、帖木眞テムヂンは、札木合ヂヤムカの處トコロに、合撒兒カツサル、別勒古台ベルグタイ 二人フタリを遣ヤり、「札木合 安荅ヂヤムカ アンダに言へ(帖木眞と札木合と幼き時 安荅となれりし事は、後に委しく見ゆ。)」とて、言イひて遣ヤるには、「三ミつの篾兒乞惕メルキトに、來キて座クラヰ斡囉を空カラ豁黑脫兒忽に爲ナされたり、我ワレ。(妃を奪はれたり。こゝの豁は、音ホにて、斡に通ず。)扣子コウシ斡那兒(二物を結び合する紐釦の類︀)一ヒトつのもの(離れざる親友)ならずや、我等ワレラ。讎アタ斡雪勒をいかにか復カヘ斡薛さん。懷フトコロ額不兒を半ナカバ含帖勒迭せられたり、我ワレ。(こゝの含は、音ハンにて下の句の哈と協ふ。)肝カン赫里堅の親族シンゾク(肺腑の親)ならずや、我等ワレラ。怨ウラミ哈赤をいかにか報ムク哈赤剌いん、我等ワレラ」と云イひて遣ヤりぬ。