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うな形に石を嵌込んだのであります、是は寺の内部でありまして、御覧の通り柱が澤山列んで居りますが是は一つ違ひます、多分是は希臘羅馬時代の遣物を方々から集めて來て造つたものと思ひます、其特色は斯様なからみ柱、此の柱と隣の柱とからみ附ける、それから一本の柱を斯う捻ぢる、さう云ふ様なやり方が是には見えるので、それが即ちセルヂユーク式の一つの特色であります

此の寫眞(第十九年第一版)は當時のセルヂユークの特色を、遺憾なく現して居る所の一建築でインジエ、ミナレリ、メドレツセと云ひます、即高塔學堂と譯します、それは斯う云ふ高い塔ですが、此の塔が普通の圓いとか四角とか云ふさう云ふ簡單なものでない、四角だと思ふと十六角になり、十六角であるかと思ふと菊の花の形になると云ふ様に非常に變化して行くのでありまして、その表面は彩瓦を張りつけて非常に美しい模様を現はすのであります、それから此の門であります、這入口の門の寫眞は是でありますが、此のアーチが此所で一つ捻ぢれて居ります、それからこゝには紐の襟なモールヂングが此所で結んだやうに彫刻がしてあります、此所にはセルヂユークの文字を装飾紋様の代りに使用して居ります、斯う云ふ様な特色は外のスタイルにはありませぬ、勿論文字を装飾に用ゐること丈けは回教建築の通性です、それからもう一つの特色は此のドームの形であります、ドームの形は埃及、亜刺比亜、印度其の他の地方のドームでも決して是に似たものはありませぬ、全くセルヂユーク特殊の形をして居ります、

それから次の好例はカラタイ、メドレツセと云ふ建築で、その中堂の上には例の特殊のドームが冠せてありますが、その内部は幾何學的の模様を彩瓦で嵌成してあります、是等もセルヂユークの

 (小亞細亞横斷旅行談)七三(73)