鹿兒島縣史 第一巻/第三編 國司時代/第五章 郡郷の沿革


第五章 郡郷の沿革

 大隅國は和銅六年四月、日向國より分置の際は、肝坏・贈於・大隅・姶羅の四郡であつたが、前に述べた如く、次いで菱刈・桑原の二郡を増し、更に多褹島の廢止と共に、馭謨・熊毛の二郡を加へて八郡となつた。延喜式民部に中國とし、管郡を、菱刈・桑原・贈於・大隅・姶羅・肝屬・馭謨・熊毛の八郡と載せ、和名抄も之に同じである。

 菱刈郡は大隅國の最北に位し、東は日向國諸縣郡に隣し、北は肥後の球摩、葦北の二郡に、西は薩摩國出水、高城の二郡に接して居る。 天平勝寶七歳五月、菱刈村の浮浪九百三十餘人が郡家を建てん事を願つて創置された郡で、和名抄には比志加里と訓じ、羽野・亡野・大水・菱刈の四郷を載せて居る。 この内、羽野郷はハノ、或はハヌと讀むのであらうが、現今之に當つべき地方がない、よつて、羽月村かと云ひ、或は柞野の譌りでタラノと讀むべきで、即ち後世の太良院かとの説もあるが、共に詳かでない。 次に亡野は高山寺本和名抄には出野と載せて居るが、また共に今當つべき地がない。 よつて色々推論されて、國郡沿革考は或は山野の誤かと説いてゐるが、これが最も有力で、即ち後の牛屎院の郷域Page:Kagoshima pref book 1.pdf/102Page:Kagoshima pref book 1.pdf/103Page:Kagoshima pref book 1.pdf/104Page:Kagoshima pref book 1.pdf/105Page:Kagoshima pref book 1.pdf/106Page:Kagoshima pref book 1.pdf/108Page:Kagoshima pref book 1.pdf/109Page:Kagoshima pref book 1.pdf/110Page:Kagoshima pref book 1.pdf/111Page:Kagoshima pref book 1.pdf/112Page:Kagoshima pref book 1.pdf/113Page:Kagoshima pref book 1.pdf/114

この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。