鉄道唱歌/山陽線唱歌 汽車
< 鉄道唱歌
山陽線唱歌 汽車
英名千 古 に曇 なき楠公 忠 死 の湊 川 淸 くながれる神 戶 市 は全國屈 指 の大 港 發車 の時 間 待 つ隙 に めぐる附 近 の名 所 は生 田 諏訪 山 布引 の瀧 は驛 より二 十 町 - やがて
汽 笛 の聲高 く忽 ち來 る兵 庫 驛 和田 の岬 の燈臺 は波 にぞ影 の橫 たわる - むかし
平 家 が福原 に都 うつしゝ跡 ぞとて のこる記 念 の塔 ひとつ平 相 國 の墓 とかや 須磨 の關屋 は何方 ぞ答 へぬ松 の風 さむく吹 くや須磨 寺 一 の谷 寿永 の夢 の跡 弔 わん- うしろは
名 高 き義經 が鵯越 の逆落 し榮 花 に誇 る平軍 を全敗 せしめし古 戰 塲 松 露 ほる子 の影 みゆる舞 子 の濱 の松 林 木 の間 に霞 むは淡 路 島 みやげになるは舞 子 焼 - すみゆく
月 の明 石 には人丸神社 明 石 城 春 は人 出 も大 久保 の梅林近 く見 つゝ行 く 加古 川 附 近 に聞 こえたる四箇 所 の松 の名木 は尾上 髙砂 別府 と曾根 嵐 や琴 を調 ぶらん髙 さは二 十六 尺 の石 の宝殿 仰 ぎ見 て間 もなく入 るや姫 路 驛 城 には第十 師 團 あり名所 は書寫山 增 井 山 白国梅林 廣峰社 その名 きこゆる産物 は明 珍 火 箸 に革細 工 - こゝより
左 右 に別 れゆく左 の線路 は飾 磨 港 右 に見 ゆるは播但線 生 野 城 の崎 遠 からず 素麺産 地 の網 干 より龍 野 に通 う電車 あり龍 野 醤 油 揖保 の鮎 室 津 は近 くの良 き港 舊藩候 の別荘 と名 にも龍 野 の聚 遠亭 枝 垂 櫻 の木 のまより一 目 で見 らるゝ播 磨 灘 那波 より近 き赤穗 城 四 十七 士 の遺 跡 の地 煙 たなびく鹽田 も亦 おもしろき眺 めなり船坂山 は髙徳 が後 醍 醐 帝 の遷幸 を道 に要 して奪 わんと義 兵 あげたる其 遺 跡 石筆 いづる三石 を過 ぎて吉永芳嵐園 吉 野 嵐山 兼 ね得 たる名 にも背 かぬ花盛 り- むかし
熊澤蕃山 が岡山藩 主 に聘 さられ子 弟 を教 え導 きし名 も閑谷 の閑谷黌 瀨戶 うちすぎて西大 寺 北條時頼入道 が手 植 にしたる名木 の櫻 は岩 閒 の寺 にあり早 くも來 ぬる岡山 の後樂園 は我國 の三公園 の其一 つ園内 ひろく鶴遊 ぶ三十 二里 の旭 川 市 を貫 きて水淸 く十七 師 團 も此 土地 に置 かれて賑 ふ一 都 會 中 國鐵道 にのりかへて ゆくには二 つの線 路 あり作州 津 山 に遊 ぶべく吉備津 の宮 にも詣 づべし瀨戶 内海 を橫 ぎりて向 かいの岸 の四 國 まで ゆくには連絡 汽 船 あり讃 岐 めぐりも時 の閒 ぞ金刀比羅 宮 を參拜 し栗林公園一覽 し屋 島 に平 家 が敗軍 の跡 とむらうも旅 の興 叉岡山 に立 ち歸 り音 に名 高 き備 前燒 もとめてゆけば庭 瀨 にも物產 疊 表 あり玉島驛 の南 には躑躅 花 さく圓通 寺 寺 より見 れば面白 や水島灘 は目 の前 に金神驛 には金光社 金光敎 會 本 部 あり笹岡 附 近 の名產 は世 に廣濱 の水蜜桃 天守 は殘 る福山 城 阿伏兎 の觀 音鞆 の浦 みな遠 からぬ名所 にて鞆 より出 づるは保命酒 尾道 ゆけば千 光 寺 巖 の上 に寺 ありて見 おろす海 の小 歌島 歌聲 たえぬ海士小 船 絲崎驛 の海 上 を南 に出 づる一 里 半 春 は能 地 の浮鯛 と呼 ばれて名 高 き見 物 あり本鄕 よりは一 里 半 臨濟 宗 の佛通 寺 境内 しづかに奧深 く安藝 の高 野 と人 は呼 ぶ河 内 の驛 に見 るべきは深 山公園竹林 寺 園 は水 あり遊 ぶべく寺 は木 深 し涼 むべし西條柿 の名產 地 西條 すぎて走 り行 く汽 車 は早 くも海 田 市 日 も吳線 の乘替 塲 吳軍港 も見 たけれど歸 りに殘 して眞直 に ゆけば心 も廣島 市 第 五師 團 の所在 の地 大本營 を置 かれたる名 譽 の記 念 は廣島 城 西 湖 をうつして名 高 きは淺 野 別墅 の縮 景園 二 葉 公園花 さきて風 あたゝかに吹 く頃 は賑 う饒 津 の社 まで散 步 にゆくも面白 し日淸日 露 の戰爭 に軍隊 輸 送 の大任 を全 うしたる宇 品港 出 で入 る汽 笛 四時絕 えず己斐 の松原五 日 市 おるれば草 津 の梅 林 宮島驛 の海 上 に立 てる鳥 居 は嚴 島 - いつ
來 て見 んと思 ひつる一 百 四 十八閒 の廻 廊浸 す夕汐 に浮 べる月 もながめたり 是 ぞ日本三景 の一 つと呼 ばるゝ風景 の浦 は七浦豐公 の千 疊 閣 に紅 葉 谷 縮 の產 地 岩國 に かゝれる橋 は錦帶橋 橋 みる人 は電車 にて驛 よりわずか二里 ばかり神代 にては岩 尾 瀧 大 畠 には瀨戶 の景 ながめてゆけば柳 井津 の街 には醤 油木 綿縞 千 年 に遺 す德山 に立 てるは殉 難七 士 の碑 その勤王 の眞 心 に淚 そゝがぬ人 あらじ三田 尻 よりは宮市 の松崎神社 に詣 づべく大道 おりて見 るべきは大村 兵 部大 輔 の碑 小 郡 よりは山口 に ゆくべく湯田 に浴 すべし小野田 の次 は厚狹 の驛 大嶺 支 線 の乘替 塲 絲 根 の松原 いと早 く埴生 も小 月 も打 ちすぎて長 府 に櫻 の名 どころと聞 えし寺 は功山 寺 景 色 のよさに誰 も皆 來 て住吉 の一 の宮 あわてゝ手荷 物忘 るなよ こゝぞ終 點 下關 - これより
海峽 打 ちへだて向 は九州 門司 港 關 門 連絡 船 しげく ゆきかう汽 笛 の聲 たえず 安德帝 の大 御 靈 まつれる社 は赤 閒 宮 平 家 の亡 びし壇 の浦 今 は榮 ゆる町 つゞき城山公園 櫻 山 夏 は涼 しき波 に散 る小門 の夜 焚 の篝 火 を花 かと見 るも心 地 よや四時 の眺望 すぐるゝは龜山神社 の岡 の上 右 には彥島 巖流島 左 に和布刈 の鼻 見 えて- これより
瀨戶 を打 ち渡 り九州廻 りをして來 んか韓國 釜 山 にゆく船 も煙 噴 き立 て客 を待 つ
この著作物は、1943年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。